小沢信男著作 140

 小沢信男さんの詩の師匠である丸山薫さんの作品に登場する日比谷公園の池について
話題としましたが、「東京の池」に取り上げられた、小沢さんの先輩の思い出につな
がる池についてです。
 小沢さんの文章からの引用です。
「ほぼ円形の無造作な池である。池のまん中に、これまた無造作に丸い小山の島がある。
小山はこんもり緑に覆われ、池畔は鬱蒼たる松並木で、丸太造りの四阿もある。池の水
はぼんやり濁っている。
 回遊式の心字池ほどに凝ってはいず、灌漑池ほどには開けてもいず、素朴かつ寂然と
して、一種どこかユニークだ。岸から島へは凝った石の太鼓橋が架かるが、その端を
わたって小山にのぼると、下草が生え放題の雑木のジャングルである。
 四阿の脇に、屋根つきの掲示板が立つ。池の由来が書いてある。」
 この池がありますのは、「京王線八幡駅を出て、赤堤通りを南へゆけば」とあります。
「広大な病院の敷地の一隅、東南の隅に池がある」のだそうです。
 この池が作られたのは、大正十年から大正十五年にかけてのこと、この病院の患者たり
作業療法に一環だそうです。
この池は、「将軍池」と呼ばれていますが、それはこの病院に入院し、この作業に参加し
ていた有名な患者さん「芦原将軍」にちなんでいます。小山のほうは、この作業を指揮し
たお医者さんの名前がついたようです。
 由来の文章の一部を、ここに記します。
「将軍池と加藤山の周辺は松沢病院の『オアシス』であり、その象徴である。将軍池の名
は、この作業に参加した患者で自称『将軍』芦原金次郎にちなんだものであり、加藤山は
作業を指導した加藤普佐次郎に由来する。」
 小沢さんによると「『将軍』こと芦原金次郎について述べれば、彼は明治・大正・昭和
戦前にまたがって、最も著名な人物の一人だった。」となります。
 小沢さんは、この将軍に関して「新潮45」の94年5月号に「日本一の狂人伝」という
長文を寄せています。