ピーチな旅 3

 谷崎潤一郎「台所太平記」は、1962(昭和37)年に「サンデー毎日」に連載された
ものだそうです。ちょうど日本が高度成長をとげているころのことです。
我が家にテレビが導入されたのは、ちょうどこのころのことで、当方が育った家庭で
高度成長を実感するというと、テレビを購入したことでしょうね。
 「台所太平記」の書き出しは、社会がかわっていてとはじまります。
「近頃は世の中がむずかしくなって参りまして、家庭の使用人を呼びますにも、『女
中』などと呼びつけにはいたしません。昔は『お花』『お玉』と云う風に呼んだもの
ですが、今では『お花さん』『お玉さん』と、『さん』づけになりました。」
 このように書いたあとに、この作品の舞台となっているのは1936(昭和11)年であ
るので、「女中」と呼ばなくては、「どうにも情が移りません」といいわけをしてい
ます。
 女中の名前を呼ぶときには、谷崎家では、奥様の実家の風習をついで、次のように
していたとのことです。
「千倉家では、大阪の旧家である讃子の里方の習慣で、使用人の本名を呼びつけにし
ましてはその人の親御さんたちに失礼であると云う考えから女中には仮の名を附ける
ことになっていました」
 一応、谷崎の世界には、このような配慮があったのですが、こうしたところのほうが
すくなかったのでしょうか。
 この作品は、かってたびたび映像化されたのですが、これの主人公役といえば、
なんといっても森繁久弥さんでありまして、この時代の森繁は、まだ喜劇役者の色濃
く残っていたことであります。