小沢信男著作 79

 本日も昨日に引き続き「ちちははの記」からです。
 昨日に引用した最後のところに「格好つけて言うなら、鎮魂の遍路行のような
もの」とありました。「オヤノカタキ」と、どうして折り合いをつけたかというと
「鎮魂の遍路行」を重ねたからできたということでしょう。
 それはたとえば、次のようなことであるようです。
「 昨年が亡母の三十三回忌。親族一統、寺にあつまって法事をした。何年ぶり、
なかには何十年ぶるに出会う顔もいて、お変わりもなくてと言いつつ、ほとほと
変わりようを確認したわけだが。この回忌というのは、じつにうまくできている
ものだ。三十三回忌あたりで普通はもううちあげにしていいんだそうで、なるほど
世代が一サイクル廻っている。亡母の享年を私もすでに越えてしまった。・・・
 オヤノカタキはほんとうのところ私自身だ、というような普段ひたすら忘れている
事実は、こういう回忌でもあってくれなくては、片付けておく抽斗もない、といった
ものだろう。」
 「オヤノカタキ」とは「私自身」のことでありましたか。
「要するに私は、父とはちがう暮らしがしたかった。神仏混淆の、現世ご利益一点張
りのエゴイズム。その前近代的混迷から抜けだして、すっきりと合理的に生きてやる
んだ。
 そうして二十年あまり暮らしてきて、正直、どうも結着がつかない。近代的な生き
方とは、私の解釈によれば、つまりこの世をばわが世と思う生き方のことだが、それ
ならば世田谷の一等地で、ほどほどの恒産擁して孫たちにかこまれ悠々自適の老父の
ほうが、そう見える。」
 若い時に理想とした「近代的な生き方」というのを、実現しているのは「自分の
父」であったというパラドックスな話であります。
「私の密かな混乱である。しいて結着をいそいでいるわけでもないけれども」だそう
です。
 終わりは、年老いたお父上と「巣鴨の寺に墓参」にいった話になりますが、ここの
ところは、あえて引用せずにおきますので、なんとかこの文章を、手にしてご覧いた
だければと思います。