小沢信男さんの「大東京24時間散歩」(現代書林 79年8月刊)を話題としています。
昨日までは70年に書かれた労働現場のルポを紹介していましたが、本日は「東京シネ
マ街」と題された映画評です。この本に収録されている評は、すべて「映画芸術」に寄
稿されたものです。
「映画芸術」は、現在も刊行が継続されていますが、号数はその昔からの数字を引き継い
でいますが、そのときどきでまったくちがった雑誌のようにも思えます。
(この雑誌のことは、ウィキペディアの記載をごらんください。)
小沢さんが寄稿していたのは、小川徹編集長時代でありまして、ウィキには、次のよう
にありました。
「1969年末には13,000部に伸びた。しかし、1970年6月から経営難のためストライキ
も勃発し、発行も編集長の小川徹が行うようになった。従来の映画雑誌が取り上げな
かった
アングラ映画やポルノ映画も積極的に取り上げて評論するようになる。
1960年代末から1970年代にかけての小川編集長時代の『映画芸術』は、佐藤重臣の
『映画評論』や松田政男の『映画批評』と並ぶ存在だったが、「政治的に過ぎる」と
もみなされる。」
当方の手元にある「映画芸術」は、たぶんこの一冊のみですが、これは「花田清輝」
特集号ということで購入したものです。これにも小沢信男さんは「アマルコルド」に
ついての評をのせています。
以下の写真は、「映画芸術」の表紙ですが、74年12月ころにでたものでしょうか。
とにかく経営難と混乱のなかででたことだけは間違いなしで、最終ページにある「本誌
より」という文章を見ましたら、こちらまで頭が混乱しそうです。
「新年おめでとう存じます。おかげさまで本誌は紙ブーム・諸材料に値上げにもかかわ
らず、従来の部数を上回る売行で1969年の最終号をお贈りしたことをご報告いたします。」
どうして、69年なのでしょう。74年12月に刊行の号に、古い編集後記を採用したで
ありましょうか。
これにつづいては、「なお次号(二〜三月号)は一月中に発行する予定です。この号は
69年度ベストテン・ワースト5の号なので、ピンク映画、洋画ピンク各々の場合、読者
の皆様の投票寄稿を希望いたします。(12:25着)」とありますが、ここで69年度の
ベストというのも解せません。
「また49年度は度々の値上げですが、資金の回転と発行継続のできるギリギリの定価な
のでよろしく御了察下さい。」さきほどは69年度とあって、こんどは49年度です。
これは昭和のことでしょうかね。
こうした混乱のなかで、この雑誌は刊行されていたということは間違いありません。