小沢信男著作 45

 いまから40年ほど前の小荷物発送事情について記していましたが、宅配便が当たり前
になってからの人には、うまくイメージすることができないでしょうね。その当時には
実家から仕送りというのは現金封筒をつかった郵便でありました。郵便局のストライキ
はじまると現金封筒がつかなくて、お金が底をついて往生したなんてことも、古い昔の話
でありました。
このときの大変さというのは、先月にどこぞのメガバンクで、コンピュータトラブルによ
り、振込処理が滞ったり、引き出しができなくなったことに近いのかもしれません。
 昔の郵便はやろうと思ってやっているわけですが、メガバンクの場合にはやろうと思っ
ているわけではなくでありますので、こちらのほうがわけがわかなく、救いようがないの
かもしれません。
 キャッシュカードをつかって入金したり、おろしたり、送金したりすることしたことが
あたり前になっている人には、その昔の仕組みなんかはわからないでしょうね。昔の北前
船の時代にどのように代金決済をしていたのか、当方がよくわからないのと似ているかも
しれません。
 田園調布駅前にある日通営業所で、いまから40年ほど前までリヤカーが活躍していた
というのは、このようなルポがなければにわかに信じることができません。
リヤカーといっても、これは自転車が引く仕掛けになっていました。
 小沢さんの文章「リヤカーの三十年」からの引用です。
「 狭い区域を点点と荷をおろしてゆく場合、たしかにトラックは非効率的なようで
ある。リヤカーひいた自転車のほうがいいんだなァ、なるほど。
 Aさんは、リヤカーをひいて三十年になる。秋田の農村に生まれ、戦前に上京して、東
横運送の作業員となり、そのときから、この田園調布界隈を走りまわっている。会社が
のちに日通と合併になり、作業衣のマークはかわったが、仕事はべつに変わりはなかっ
た。・・
 リヤカーには一回に二十コから三十コの荷を積む。重さにして五十貫。Aさんは尺貫法
で言う。グラムなら187.5キロだ。忙しいときには日に五、六回は往復して、一台で
百五十コぐらいの荷を配達してまわる。そこで、ぎりぎり省力化の工夫が不可欠となる。」
 自転車にリヤカーをつけて配達するという仕組みは、これが書かれた30年以上も前か
らあるのですから、戦前からなのでしょう。戦前の仕組みというのが、次々と姿を消し
ていったのが高度成長期でありまして、数年前に話題となった映画が描いているのは、
そうした時代の変わり目であります。
 本日は「昭和の日」(もちろん、昭和の御世には「天皇誕生日」です。あと何十年か
したら、そういわなくてはわからなくなるのでしょう。「文化の日」のように。)です
が、なんとなく「昭和」というのは、高度成長以前のほうが「昭和」らしかったのかも
しれません。その時代の風情も含めてであります。
 小沢信男さんも「昭和の人」でありますから、いつからこんなことになったのだろうと
考え続けているのでありましょう。