小沢信男著作 25

 昨日に「新日本文学」終刊号の巻頭におかれた創作は、会員の手による共同制作と記し
ましたが、これは当方のはやとちりで、これは「野呂重雄」さん単独による作品であると
のことです。作者名前を消してしまって共同制作のように思わせるというのは、いかにも
新日本文学」らしいことです。「新日本文学」終刊号がすぐにでてきませんので、確認
できていませんが、最終号の巻頭にまったく聞いたこともない名前の作家の作品はありえ
ないことで、著名な作家が別名で発表したか、そうでなければ共同制作であろうという
ことで、当方は共同制作と思い込んだようです。どちらにしても作者を消してしまうの
ところが、すごい。
 さて、「若きマチュウの悩み」に収録されている「小さな楽屋より」からいただきま
す。「新日本文学」1966年4月号に掲載ですから、その時点では、今よりも「小さな楽
屋」でありましたでしょう。
「昨年の秋、私の第一創作集が出て、それについていろいろ批評や評判や感想をいただ
き、ナルホドと思い、多少はハテナとも思い、まことにありがたく、ちょっぴりはアホ
くさい気持ちもいたしました。
 私は散文でものを書き出してから十四年間に、約二十編の作品を書いております。寡
作にはちがいないが、今後ピッチをあげればまもなく年平均二作となるから、私として
はまあまあだと思っております。
 拙作が、作品ごとにまま手法が違うというので、お前はなぜそう無理して手をかえ品
をかえるのかね、と再三ひとから訊ねられました。」
 「なぜそう無理して」といった先輩がいるとしたら、それはあまりにも小沢さんが
小説を発表せず、売れる作家にならないことを心配してのことでしょう。自分のスタイル
を確立して、その路線でマンネリを恐れずに作品を発表すれば生活も安定するぞという
誘いのようなものであったのかもしれません。
 上に引用したのに続いては、次のようになります。
「この訊問は、半ば意外であり、半ば私を得意にさせます。
 意外というのは、私としては、十四年もかけてたった一つのことをせいぜい二通りぐら
いにしか書いてきていない、ざんねんながら変りばえがしない、という気持ちがあるから
で、だからそれを裏返せば、シメタ、変りばえがしているように見えるかい、という得意
さにもなります。
 手をかえ品をかえというなら、私は、小説のほかにルポルタージュを書き、エッセイも
書き、ラジオ・ドラマも書き、かっては詩も書き、ついこのあいだはひょんなことから小
学校の校歌まで書いちゃいました。まだ書いていないがこれから書きたいものに、芝居の
台本と、歌謡曲の歌詞があります。」 
 小学校の校歌というのは、どちらの学校であるのか、当方はまだ確認ができておりませ
ん。芝居の台本は、この本にも収録されていますので実現し、歌謡曲ではありませんが、
小沢さんの歌詞に小室等さんが曲をつけたものがありました。
「それらを全部ひっくるめてもやはり寡作ではあるけれども、それら全部が自分の作品
活動だと思っているので、小説がそれらのガラクタの中の目玉であるにしても、なには
さておいても小説を書け書けとご親切に私を激励してくださる方の中には、小説至上主義
的偏向があるんではないかという気がしないでもありません。」
 そういえば、当方も小沢さんの新作を待ち望んでいた時期があって、その新作は当然の
ように小説と思っていましたので、小説至上主義にとらわれていたのでしょう。