小沢信男著作 69

 小沢信男さんの「佐多稲子の東京地図」についてであります。新日本文学会には
女性の会員もいたのでしょうが、小沢さんが肖像を書いているのは、佐多稲子さんと
畔柳二美さんと、あとはだれがいたでしょうか。(畔柳さんは、「通り過ぎた人々」
に登場するただ一人の女性でした。)
 小沢さんの「佐多稲子の東京地図」は、小沢さんの評論の代表的なものの一つで
あります。
 この書き出しは、次のようになります。
「 佐多稲子さんの『私の東京地図』は、私の愛読書のひとつなので、この作品なら
読んでいる、と人にも言えるように思いますので、以下、この作品がどういうふうに
私に面白いか、ということをお話しします。」
 初出は「新日本文学」78年11月号であります。佐多作品になじんでいると思われる
読者を対象として、このようにいうのですから、これは後に引くことはできません。
 この文章を取り上げて、小沢さんを紹介しているものがありました。
 これは「図書新聞」84年1月21日 無署名のコラム「読書メモ」という欄にあるもの
です。表題は「小沢信男」となっています。
「小説は形式において自由だが、読み方でも拘束はない。何を読み取ろうとそれは
読者の自由だ。しかし作者が用意したメッセージを十分にキャッチできなければ
小説を読んだとはいいきれない。これは、おもしろい、つまらないという評価以前の
問題である。 
 小沢信男氏は自身も小説家だが、同時にたいへんな小説読み巧者である。
近著『いま・むかし東京逍遥』(晶文社)には自伝的要素を含む短文を集めてあるが、
その多くは文学作品の精細な読みから発想されたものだ。
たとえば『佐多稲子の東京地図』。戦災のあとも生々しい東京の各地を、自分の生い
立ちにあわせてたどった作、『私の東京地図』を読んでゆくのだが、それはまるで
傍線を引きながらのごとく、時に作者の小さなくせ、書かれていない部分にまで目が
とどいている。『インター』の練習で、『そのときも私だけは声の出し方がちがう』と
書いた一行に注目、文部省教育が西洋歌唱法を叩きこんでいたとき、小学校も満足に
行かなかった作者には伝統の歌唱法が保存され、階級闘争への参加に際してはじめて
近代と衝突した、と指摘しているなどは、まさに読みのポイントであろう。」
 「地声で歌うインター」というのが、佐多さんのスタイルであったわけですが、
佐多さんが参加した運動は、見渡せば良家の子息とか高等教育を受けた人が多くて、
その方々は、インターナショナルを歌う時に地声ではなく、ちゃんと西洋の歌唱法で
歌う訓練を受けていたのですね。