小沢信男著作 24

「若きマチュウの悩み」の巻末におかれている「小さな楽屋より」と「『小説』という
ことばに関する緊急提案」という文章は、小沢さんにとっては珍しい文学論であります。
新日本文学会の事務局長をしていて、「新日本文学」の編集長をしていたわけですから、
文学についての発言があるのは当然でありますね。
 とはいっても「『小説』ということばに関する緊急提案」は、「新日本文学」1956年
7月号での発表ですから、小沢さん30歳頃の若書きで、より表現はストレートです。
「ここでぼくは、とりいそいで一つの提案をいたします。『小説』ということばを、いさ
ぎよくその既成概念の方にゆずってしまうのであります。『小説』ということばは、明治
以降日本文学の主流にいたらしいところの、その枠内の作品のみを指すことにするので
す。
『小説家』も同断です。代わるべきことばは現に存在するでしょう。近頃は小説家という
より『作家」と呼ぶ方が多いようだ。明治時代の雑誌には『小説雑俎』という欄があるけ
れども、現在それに相当するところはおおむね『創作』欄と呼ばれております。このこと
からも既に『小説』ということばが過去のものになりつつあるとは思えませんか。」
 今から半世紀も前に「小説書きと小説批評の専門家からつまらながられている『小説』
とは、なんたるなさけない代物でしょうか。」というのを受けて、上記のように続くの
ですが、こういう宣言を生意気にも行ってしまったら、ありきたりの小説を書くことが
できなくなるのは当然のことであるようです。
 これについての後日談も含めて、創作の内輪話が「小さな楽屋より」となるのですが、
それは、これよりも10年後のことです。
 上記の「緊急提案」で注目したのは、次のところでありました。
「なにしろ小説の未来形として、ぼくにはあまりゾッとしないことだけれども、特定
個人の作者など存在の要のない文学作品すらじゅうぶんに考え得られるのですから。」
 これは「新日本文学」で取り組まれた共同制作のことですが、あまり成果があがった
とはいえないようです。しかし「新日本文学」終刊号の巻頭におかれた創作は、会員の
手による共同制作とお聞きしましたので、1956年に書いた小説論を具現化して会の幕引
きをしたこととなります。
( 2011.04.09追記 「新日本文学」終刊号の巻頭におかれた創作は、会員の手による
共同制作と記しましたが、これは当方のはやとちりで、これは「野呂重雄」さんによる
作品であるとのことです。作者名前を消してしまって共同制作のように思わせるという
のは、いかにも「新日本文学」らしい流儀であります。野呂重雄さんももっと読まれて
いい作家です。)
 共同制作は、花田清輝さん、長谷川四郎さんらが言い出しっぺでありますからして、
共同制作作品で終わることとしたのは、小沢さんにとって尊敬する先人へのオマージュ
でもありました。