小沢信男著作 19

 小沢信男さんの最初の作品集である「わが忘れなば」から四年後に刊行された小説は、
小沢さん唯一の長編であります。
 「小説昭和十一年」 1969年12月15日刊 三省堂 500円

 この作品のおかげで、当方は「昭和十一年」というのがどのような年であるのかわかり
ました。作品の表紙にコラージュされている絵は、和服の女性は、もちろんその年一番の
話題をさらった「阿部定」さんでありました、その上にあるのは、2.26事件の反乱
軍で兵士です。車も見てとれるかもしれませんが、これは小沢さんの父上がやってらした
ハイヤー会社の車でしょう。
 この本の小沢さんによるあとがきから引用しましょう。
「 この作品は、私のはじめての長い小説です。
  作中の時間は、昭和十一年の二月から十一月までの十ヶ月間ですが、執筆の時期は
 昭和四十三年のやはり二月から十一月まで。『新日本文学』同年四月号から十回に
 わたって連載しました。 
  すなわち三十二年前の月々の出来事を、おなじその月ごとに書いていたので、こう
 すれば作中人物たちもおのずから作者とともにそれだけの月日を経るであろう、とい
 うもくろみでした。」

 この本の巻末には、上段に昭和十一年の年表があって、下段には昭和四十三年の年表
がおかれて対照できるようになっています。昭和四十三年というのは1968年でありまし
て、そうとうに騒々しい年でありましたが、昭和十一年というのも、それなりにきな
くさい年でありました。
「 小説に年表をつけるなんて、おおかた邪道というものでしょう。だいいち私は、どん
 なに精密な年表にも戴りっこない人たちのことをこそ書きたかったわけだから。しか
 し、この作品をなるべく若い人たちに読んでもらいたい、という欲心からあえて蛇足を
 くわえました。オマケは本文よりもたのしいはずのものだけれども、果たしてどんな
 ものやら。」
 どんな精密な年表にものりっこない人たちといえば、これは作中にある「虎屋自動車」
の人々のことでしょうか。「虎屋自動車」とは現実に小沢信男さんのお父上がやってい
らした車やさんの名前であります。 
 「サンパン」の2002年11月に刊行された第3号から始まった「小沢信男一代記」の冒
頭におかれているのは、「小説昭和十一年」からの引用でありました。