小沢信男著作 6

 東邦出版社から78年7月に刊行された「犯罪専科」は、なんと続編がでることに
なりました。
 「続・犯罪専科」 東邦出版社 79年1月刊

 「続・犯罪専科」のあとがきには「好評続刊は、もちろん著者としての欣快であり
ます。」とありました。犯罪ルポは、身近な「新日本文学」の先輩会員からはほとん
ど評価されず、しかも「犯罪を書くことに、私はいつもつらい気持ちがあった」と
河出文庫版「犯罪専科」のあとがきでも書いていますので、最初の作品を書いて12年も
たってやっと市民権を得たという思いになったようです。
 佐木隆三さんの「復讐するは我にあり」が発表されたのは75年でしたので、これの
成功も犯罪ルポの背中を押したかもしれません。佐木さんは、新日本文学でデビュー
した作家さんですし、小沢さんとも交流があったかたですから、当方は佐木さんの
作品が話題になったときに、スタイルは違うけど犯罪ものというと小沢さんのおはこで
あったのにと、残念な思いをいたしました。
 「サンパン」13号の「聞き書き小沢信男一代記」には、次のようにあります。
「昭和46年(1971)6月の『万博型結婚詐欺』までは休まずにやって、さすがに疲れて、
おろしてもらいました。その一年前に、新日本文学事務局長にふいになってしまって、
会がやや危機だったもので、ほぼ日勤で事務局に詰めたんだ。・・それでぼくの
代わりに現れたのが佐木隆三。彼のすごいのは、犯罪ルポを『問題小説』に毎月連載
してのけたんです。やっぱり違うんだなぁ。」
 佐木さんの「復讐するは我にあり」が、「問題小説」の犯罪ルポの延長にあると
いうのは、こうした経緯を見てみると、まんざら的外れでもないように思います。
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 「続。犯罪専科」に収録の作品は、以下のとおりです。
・ 何が彼女を嬰児殺し  「問題小説」69年8月号 
・ マイホーム合戦姑殺し 「問題小説」69年12月号
・ 悪女の極付・日本閣事件 
・ 真言坊主殺生破戒記
・ 天理背反連続私刑事件
・ 山荘マダム・ツバメ殺し「問題小説」69年2月号
・ 知らぬは亭主暗殺未遂事件「問題小説」69年4月号
・ 荒さん未亡人狂死始末 「問題小説」68年12月号
・ ドロボウ会社始末記  「現代」72年2月号 
・ マダムと硫酸 古今妾考
 初出が不明の4作も掲載誌は、「問題小説」となります。
 ここまでの犯罪ルポは、「ドロボウ会社始末記」一作を除いて、「問題小説」からの
依頼によるものですが、「私は書きたいものだけを書きたいように書いてきた。」と
「続・犯罪専科」のあとがきにありました。
 他誌からも依頼があって、「現代」にルポを寄せることになったようですが、これは
どうも勝手が違ったようです。
「サンパン」の聞き書きには、「これが既成の、たとえば御三家の雑誌だったら、こうは
いかなかったとおもいます。何年かして、某社の某誌に、泥棒ものを一本書いたことが
あるんだ。刷り上ったのをみたら、結びを勝手に直して、とにかく悪い奴は悪いんだと
いう結論になってやがんの。クソッ、二度とこんなところに書くもんか。もしも大出版社
の雑誌でスタートしたら、すぐ衝突して、犯罪者から退散していたんじゃないかぁ。
文筆業というのは、気の合った編集者との共同制作ですよ。つくづく。」とあります。 
 「犯罪専科」という書名は、後年(85年)になって小沢さんの河出文庫でも使われるの
でありますが、これは、東邦出版社刊の正・続を再編集して一冊としたものです。