小沢信男著作 40

 小沢信男さんの「大東京24時間散歩」の目次を紹介しましたが、あとがきで
小沢さんがいっているとおりで「著作のなかでも風変わりな本」となりました。
小沢さんは、犯罪物ほかにも宗教とかのルポルタージュを書いているのですが、
それらのほとんどは単行本に収録されることなく、現在にいたっています。 
 「サンパン」第13号 連載の「小沢信男一代記」からの引用です。
「ぼくは詩から出発して、小説を書くようになったんだけれど寡作でね。一方で、
なにかを取材して書くことのほうが、ずっと多いんです。ルポルタージュとか
ドキュメントとか。・・
 この種のものを書いた最初は、たぶん『山岸会』ルポです。」
 第11号の「一代記」では、「山岸会ルポは凡作だけれど、それが縁で山岸会に
多少出入りして、じつに役立ちました。」と記しています。
 どうして凡作であるかについては、第13号に、次のようにあります。
「(山岸会の農場に)突然ひょっと押しかけたのに『ああそうかい、まぁ泊まって
いけ』と、淡々と受け入れてくれた。おだやかな丘の上暮らしで、いまでも目に
浮かぶくらい印象的でしたよ。そのくせ書いたルポは『空想から科学へ」と題した
ものでも知れるが、せっかくの印象を既成概念で押さえこんだような代物です。
・・三年後ぐらいに、一週間の特別講習に参加しました。これがぼくには大きな
節目で、決定的な影響をうけた気がします。」
 ルポは凡作(?)であったも、決定的な影響を受けた「山岸会」との交流で
あります。
「山岸会」というのは、「無所有社会の実践団体で、山岸己代蔵という人をリー
ダーに世界最終革命の「ヤマギシズム」を唱えていまして、三重県伊賀町の春日
農場が本部で」とありますが、小沢さんが取材にはいる「二年前(1959年)に
事件が起き」、「山岸会というなんだかいかがわしい団体は、これでもうつぶれた。
ということで世間の記憶からいったん消えた」のだそうです。
 そういえば、そんな前ではないときに、山岸会への財産寄贈が問題となって、
山岸会が空中分解の危機に陥りましたが、あれは世間の記憶からいったん消えた
だけでありましょうか。