小沢信男さんの「大東京24時間散歩」の目次を紹介しましたが、あとがきで
小沢さんがいっているとおりで「著作のなかでも風変わりな本」となりました。
小沢さんは、犯罪物ほかにも宗教とかのルポルタージュを書いているのですが、
それらのほとんどは単行本に収録されることなく、現在にいたっています。
「サンパン」第13号 連載の「小沢信男一代記」からの引用です。
「ぼくは詩から出発して、小説を書くようになったんだけれど寡作でね。一方で、
なにかを取材して書くことのほうが、ずっと多いんです。ルポルタージュとか
ドキュメントとか。・・
この種のものを書いた最初は、たぶん『山岸会』ルポです。」
第11号の「一代記」では、「山岸会ルポは凡作だけれど、それが縁で山岸会に
多少出入りして、じつに役立ちました。」と記しています。
どうして凡作であるかについては、第13号に、次のようにあります。
「(山岸会の農場に)突然ひょっと押しかけたのに『ああそうかい、まぁ泊まって
いけ』と、淡々と受け入れてくれた。おだやかな丘の上暮らしで、いまでも目に
浮かぶくらい印象的でしたよ。そのくせ書いたルポは『空想から科学へ」と題した
ものでも知れるが、せっかくの印象を既成概念で押さえこんだような代物です。
・・三年後ぐらいに、一週間の特別講習に参加しました。これがぼくには大きな
節目で、決定的な影響をうけた気がします。」
ルポは凡作(?)であったも、決定的な影響を受けた「山岸会」との交流で
あります。
「山岸会」というのは、「無所有社会の実践団体で、山岸己代蔵という人をリー
ダーに世界最終革命の「ヤマギシズム」を唱えていまして、三重県伊賀町の春日
農場が本部で」とありますが、小沢さんが取材にはいる「二年前(1959年)に
事件が起き」、「山岸会というなんだかいかがわしい団体は、これでもうつぶれた。
ということで世間の記憶からいったん消えた」のだそうです。
そういえば、そんな前ではないときに、山岸会への財産寄贈が問題となって、
山岸会が空中分解の危機に陥りましたが、あれは世間の記憶からいったん消えた
だけでありましょうか。