ブロンテ 実生活の視点 7

 日本であれば金があれば、この世はなんとかなると思わせるような風潮がありました
が、英国ではもっと長きにわたって出身階級の固定化が続いていますので、階級による
文化の違いというのがあるようです。
 どう考えても、上流階級の人々はフットボール(サッカーのことですね。)に夢中には
ならないといわれたりしています。まあなにごとにも例外はあるのでしょうが、古くから
ある英国の大学のフットボールチームの話題が、当方に聞こえてくることはありません。
このへんは米国と違うところでしょう。
 ブロンテ姉妹の父は、「農夫の10人子どもの最長子として生まれ育った。貧しかった
が、努力を重ね勉学を続け、教師となり、ケンブリッジ大学の給費生となり、そして英国
国教会司祭補となった。」とあります。ほとんど「赤と黒」と同じような話であります
ね。出身階級からの脱出をしようと思ったら、こうした生き方しかなかったのでありま
しょう。
 ケンブリッジとかオクスフォードは家柄が問題となるだけでなく、金銭負担もたいへん
でありますので、労働者階級でここにはいろうとしたら、給費生になるしかないので
しょう。このへんの息苦しさのようなことをG・オーウェルが書いていたように思います。
 英国国教会の司祭というのは、とりあえず中産階級の一員となるのですが、階級は上昇
しても収入的には厳しかったようです。
 父親がブロンテ姉妹に求めたのは、中産階級から脱落しない生き方であり、そのために
子どものころから教育を施され、それにふさわしいたしなみを身につけるように育てられ
たのでありました。
 上流階級の人には、生活に伴う雑事というのは、執事や召使いの仕事であったので
しょう。中流階級は、そこまではいきませんが、やってよいこととしてはいけないこと
が厳然としてあったようです。
 お針仕事なんてのは、中流に属している女性がしなくてもいいことであったと思われ
ます。