「図書」2月号より 3

 昨日に引き続き丸谷才一さんの連載「無地のネクタイ」から「松竹の歌舞伎」で
あります。
 前日に引用したところから、次のフレーズにつながります。
「 歌舞伎はさういふ特殊な演劇である。たとへば演目や配役といふ重大事にしたって、
わがままな大名題の意向でいろいろともつれたあげく、松竹の奥役が何とかまとめたり、
まとめそこねたりして決まるものらしい。
 さて、わたしは松竹の功績を大いに評価した上で敢へて言ふのだが、最近の松竹は調整
力にいささか翳りを見せてゐるのではないか。」
 いつからなのかわかりませんが、舞台というのは制作する人と演出する人は違うのが
普通になっています。プロデューサーが予算管理して出演者などを決めて、予算の範囲で
演出家に依頼するということになるのですが、それとくらべると歌舞伎は、松竹が制作
するとはいうものの。軸になる大名題がゲストに呼ぶ大名題とで芝居をつくりあげて
いくのですが、演出家というのは特になくて、それこそ家に代々伝わる型を基本にして、
それに当主が新味を加えたり加えなかったりなのでしょう。
幸四郎吉右衛門の共演を見ることができるやうになったのは嬉しいけれど、吉右衛門
勘三郎がいっしょの舞台もそろそろ楽しみたいものである。・・・松竹の奥役は、惰性
で仕事をするのではなく、もっとおもしろがって企画をたてなければならない。
 演目の選び方にしても、もう一工夫あってよさそうだ。いくら名作とは言へ『勧進帳
がこんなにしょっちゅう出るのはをかしいし、・・・」
 幸四郎吉右衛門さんは兄弟でありますが、最近まで共演することができずにいたと
いうことは知りませんでした。これは幸四郎家が一時期松竹を離れた(?)ことと関係が
あるのでしょうか。(次代の吉右衛門はどうするのでしょうか。松たかこが襲名という
わけにはいきませんよね。)
 丸谷さんの文章の最後は、襲名話題となります。
「いくら何でも気が早すぎる、何しろあの騒ぎのあとだしと眉をひそめられたり、笑はれ
たりするかもしれないが、海老蔵団十郎襲名といふのはどうだ。験直しにもって来いで
はないか。」
 このあとに、丸谷さんは落ちを用意しているのですが、それは実際の文章を見ていた
だくとして、先月の「ちくま」で佐野真一さんが「鮹蔵」とけなしていた「海老蔵」で
ありますが、実際に芝居をみると、やはり魅力があるということでしょうか。