「図書」2月号より 4

「図書」2月号を見ていましたら続き物の関係で、1月号にも手が伸びました。
そういえば1月号というのは、いろいろとあって、あまり良く見ていないのに
気がつきました。
「図書」の連載には坪内稔典さんの「柿への旅」というのがあります。
 坪内さんが柿にこだわるのは、正岡子規への尊敬からでありますね。
「子規の真似をしながら、いつかその真似がすっかり身についたというものがある。
たとえばあんパン好き。・・
 次には柿。子規には『柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺』という代表句があるが、この
句を調べたり考えたりしているうちに、柿が秋の代表的風物になったのは俳句が
柿を詠むようになったからだと気付いた。食べ物だった柿は、雅語の詩である和歌で
は対象にならなかった。雅語でなくて、俗語を積極的に活かす俳句において、柿は
盛んに取り上げられ、日本の秋の美しい風景になったのである。こういうことを
知って、私は全国各地の柿に関心をもつようになった。目下は全国に九百種くらいは
はあるという柿をきままに訪ねている。・・子規が機縁であんパンや柿が好きになり、
今では子規以上にあんパンや柿への関わりを深めた気がする。それが内心、ちょっと
自慢だ。」
 ここに引用したのは坪内稔典さんによる岩波新書正岡子規」の「はじめに」から
です。

正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)

正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)

 この坪内さんの新書には、正岡子規が書いた柿についての一節が引用されています。
「柿は野気多く冷かなる腸を持ちながら味はいと濃なり。多情の人、世を厭ひて野に
隠れながら猶物に触れて熱血を迸らすにもたとへんか。冷腸熱血吾れ最も此物を愛す。」
 これに続いて、子規の柿好きについて言及されています。
「子規は確かに柿が好きであった。随筆『くだもの』によると、学生時代には一度に
樽柿七つか八つを食べるのが常習であったという。樽柿は渋抜きをした柿である。」
 渋抜きをしている柿でありましたら、一度に八つも食べても便秘になることはない
のでありましょうか。かって学生の頃知人の下宿で、彼の自宅から送られてきた
ちょっと渋い柿を一度にたくさん食して、そのあと大変な思いをした当方は、
けっして健康体ではなかった子規のことを思いながら、そのように感じるので
ありました。