あいさつ指南書  6

 丸谷才一さんの「あいさつ指南書」三冊を、手近においてながめております。
掲載されている一番古いものは、先日に引用した野坂昭如さんの媒酌人あいさつで、
1962年のものですが、一番新しいのは2010年のものとなります。
 それでは一番多く登場するのはというと、これは吉田秀和さんであるようです。
丸谷さんが、吉田秀和さんのためのパーティで行ったあいさつを、次のように
収録しています。
・75年12月2日「吉田秀和氏を祝う会」での祝辞(「あいさつはむづかしい」所収)
 これは吉田秀和全集の完結と大佛次郎賞を受けたことを祝ってのものです。
このあいさつの前文には、丸谷さんが吉田さんと最初にであったのは、丸谷さんが
桐朋学園音楽科で英語を教えていた時のこととあります。その時に吉田さんは、
「事実上の教頭のような役割を勤めていた」そうです。
「そのとき以来、わたしは吉田さんにずいぶん鍛えられた。なかでもいちばん教わっ
たのは、文明と芸術の関係ということで、わたしの文芸評論のもっても基本のところ
にあるものは、吉田さんんい教わったことだろうと思っている。」
 とここまでは前文ですが、前文は本となったときに書かれたものですから、85年の
ものでしょうか。
 あいさつのタイトルは「息子の『尊敬する人物』」となっていまして、丸谷さんの
高校生の息子さんは、吉田さんの熱心な愛読者で、学校の作文「私の尊敬する人物」
という題をだされたときに、吉田さんのことを書いたそうです。(この息子さんが
吉田さんのことを尊敬しているというのは、これ以降なんどが目にする逸話です。)
 あいさつのなかで吉田さんを評して、次のようにいっています。
「吉田さんは音楽批評の伝統どころか、音楽の伝統すらないところで、音楽批評を
たった一人で創造した。先輩も後輩もいないのに、音楽批評という形式を日本の文明
のなかに確立した。聴衆がいないところで音楽批評を書き、それによって聴衆を作り、
そして彼らを育てた。そうすることによって現代日本音楽の最も重要な条件を作った。」