岩波少年文庫創刊60年 12

 岩波少年文庫「なつかしい本の記憶」に収録されている池内兄弟の話からです。
 そういえば、池内紀さんのご子息である池内恵さんが、デビューした頃に、
次のことが話題となりました。
「 テレビは明らかに『感情』の世界でしょう。日夜あれだけの感情的世界を
送り届けられていれば、それをシャッタアウトして、知的な読書をやりなさいと
言ったって、ものすごく異次元ですから途方に暮れてしまう。
 僕、テレビもってないもの。生涯もたない。見るのが面倒くさいだけだけど。
・・・テレビは、感情と感覚の世界までは、いいと思う。だけど、その次の段階
が途切れてしまう。」
  池内紀家が、テレビをもたない家庭であるというのは、息子さんが有名に
なった時に話題になりましたが、このような場所で父親が発言しているのですね。
父親の主義を押しつけられる子どもたちは大変ですが、特に問題を起こすことも
なしで、立派な子どもであります。こうして見ると、父親のほうがよほど問題児で
あったのかもしれません。
 やはり同じ対談からです。
「 了 兄貴は高校二年くらいで学校へ行かんようになっちゃった。それでおふくろ
 はものすごく心配した。僕は末っ子で、あの兄貴みたいになったらあかんね、と
 言われる。・・・
  紀 僕は学校いかずに、映画ばかり見てた。山でよく昼寝もしたね。しきりに
 短歌も作っていたころです。・・
  了 兄貴は、朝8時にはちゃんと弁当をもって出るわけです。僕、おふくろの
 優しさに感心したけど、あとで『朝から四時間も、映画館が開くまで何しとったん
 やろうな』って・・・
  紀 あれ、ためになった。いまだに映画のエッセー書けるものね。・・」 
 
 池内紀さんが、どうして学校へといかなくなったのかは、書かれていませんが、
理科が嫌いとなって、そのために大学受験の時に受験科目に理科がないとこを
探すのに苦労したとあります。
 理科嫌いの原因は、「中学二年の時の理科の先生が、暴力教師だった。暴力を
ふるう大人というのがいかに醜いか。それで理科なんかやるもんかって。」と
いうことだそうです。
 これであっても、池内紀さんがちゃんとやっているのですから、これは理科嫌い
にはうれしい話しであるのかもしれません。