岩波少年文庫創刊60年 11

 岩波少年文庫創刊50年を記念して刊行された「なつかしい本の記憶」に掲載の
池内兄弟の対談から話題をいただきです。

 中川・山脇姉妹、岸田姉妹は都会の子どもでありますので、幼少の頃から、身近に
本が沢山ある環境でした。
 それとくらべると池内兄弟が育ったのは地方でありました。
「 だいたいわれわれが住んでいたのはあまり本を持たない貧しい地域ですから」と
いっています。そのうえ、お二人の父上は池内紀さんが小学4年生の時に亡くなったと
いうのですから、いかに地方の旧家とはいっても、女手一つで子ども5人を育てるのは
たいへんでありましたでしょう。
しかも戦後まもなくの頃ですから、本を購入して読むなんて状態ではなかったでしょう。
そうしたなかで、本好きの子どもたちの生きるための知恵です。
「子どもはエゴイストですよ。(貧しい家の子どもと友だちに)なったって全然利益が
ない。だから、ちょっと豊かな家の子と友だちになるんです。われわれは雑草育ちで、
あちらはヒアシンスみたいなものですから、弱いんです。本を持ってても読まないから、
それをうまいこと言ってごまかして・・それが生活の知恵でしたね。だから、本は学校
で読むか、友だちに借りるか。
 雑誌はそれこそ、町の子が買ってるんです。それを誰かが借りてくると、ざあっと
村の子どもたちでまわし読みするわけ。
 だから一冊の本なり雑誌が、ものすごく理想的な効用を果たしていた時代じゃないで
しょうか。」
 当方は、池内紀さんよりも10歳年少でありますが、育ったのが池内さんよりももっと
田舎ということもありまして、ほとんど同じような体験をしております。
 池内了さんは紀さんよりも4歳年少ですが、この方の発言には、次のようにありです。
「僕は兄貴よりちょっと後だから、同級生に金持ちの子がいて、その子の家にはそれこ
そ『岩波少年文庫』が全部そろっていた。
 僕は、その子と野球の練習をやるわけね。キャッチボールをやる。それでだいたい
30分くらい相手をして、途中でぱっと彼の家へ行って、本を一生懸命読む。それで
ドリトル先生』は全部読んだ。・・うちはこんなん一切買ってくれへんかったからね。」
 子どものためにきちんとした本を買えるというのは、よほど恵まれた家庭の証であり
ました。