ノアの本 3

 昔とくらべると教えを受けた先生との関係はずっと希薄になってきていると
感じるのであります。この場合の昔というのは、さかのぼればさかのぼるほど
であります。「先生とわたし」というのが徒弟制度のような師弟でありました
ら、その昔は、ほとんど住み込みのような、内弟子のような関係であります
からして、ほとんど親子みたいなものでしょう。緒方洪庵適塾福沢諭吉
義塾もそうではなかったのかな。
 旧制高校の全寮制なんてのは、まだそのような流れが続いていたのかと思った
りします。当方が学生時代を過ごした70年代初頭の教授たちは、戦前の旧制度で
教育を受けた人たちでありますが、助教授たちは、ちょうど旧制から新制に切り
替わる頃に中学から高校生となっていました。
 大槻鉄男さんの略年譜(山田稔さんが作成したもの)には、次のようにあります。
( 大槻さんは1930年4月生まれ)
「1943年4月 京都府立京都第一中学校入学。
 1948年3月 中学卒業 四月より新制高校三年に編入。その後男女共学制実施
       にともない十月、鴨沂高校に移る。
 1949年3月 鴨沂高校卒業。七月 京都大学文学部(新制第一回)入学
       フランス文学専攻(51年四月より)。主任教授 伊吹武彦。
       同期生に沢田閏 杉本秀太郎 中川久定 本田烈 山田稔らが
       いた。当時は仏文科学生との交際はあまりない。」
 旧制中学に入学してから卒業までの5年間に、敗戦があるのですから、これは
天地がひっくりかえるような価値観の転換であります。中学を卒業したら、新制
高校の3年に編入して、男女共学があって、高校をかわるというのですから、めま
ぐるしいことです。
 占領下の混乱が、あちこちにあることがうかがえますが、この時期は三月卒業、
四月入学というパターンが崩れています。それにしても、この新制第一回入学から
のフランス文学専攻へ進学した人々の顔ぶれのすごいことです。