小尾俊人の戦後 8

 小尾俊人さんは、みすず書房を立ち上げた一人であり、編集企画においては中心的な
役割を担っていたのですが、当時のエリートたちとは違って旧制中学から高校という
進路をとることができず、諏訪蚕糸学校から岡谷工業学校へと進みました。
 18歳の卒業時に岩波書店への入社を希望したが叶わず、岩波茂雄から紹介された
羽田書店に入社し、複数の大学夜間部で学んだのち、夜間部では招集猶予が受けられ
ないため明治学院大学に転じたとあるも、明治学院も翌年12月には学徒出陣ということ
になり、学校での学びはこれで終わっています。
 復員後に羽田書店に戻り、それからみすず書房を立ち上げるのですが、小尾さんの中
には、学問の道に進みたいという希望があったとのことです。
小尾さんは、自分の足跡を消してしまうようなところがあって、その具体的なところを
自分で記したりはしていないのですが、フランスへの留学の機会をうかがっていたりし
たとあって、これだけのことをした方であるので、そうだろうなと思いました。
 1951年日記には、この年の勉強ぶりがすこしうかがえる記述があります。
 1951年2月19日(当方が生まれた翌日であります。)
「夜 クルチウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』をよむ。ダンテなり、序論興味深し
 ホーマーよりゲーテにいたるヨーロッパ文学は、ヨーロッパ文化そのものと
 Koexistensiv(共存在的)であり、現存在として直接に語り掛ける。」
 この日の注には、「原書で読んだか。」とありますが、もちろん邦訳は1971年に
みすず書房からでたのですから、原書かそうでなければ翻訳で読まれたのでしょう。
1951年にはドイツ語、英語、フランス語の本を読んでいるようですが、クルチウスの
大著を原書で読むというのは、半端な実力ではありませんですね。

ヨーロッパ文学とラテン中世

ヨーロッパ文学とラテン中世