本が生まれるまで3

 小尾俊人さんの「本が生まれるまで」から話題をいただいておりましたが、
出版社の「少年社員」という制度に寄り道しています。戦前の商店でありましたら、
小学校を卒業したくらいのこどもが、小僧または丁稚なんていうことで口減らしも
かねて奉公にでたことがあったでしょう。(当方がこどものころには、大阪発の
ドラマにはそういう設定のものがありましたですね。)
 さすがに出版社というと、個人商店とはちょっと違うのかもしれませんが、
岩波などは本の小売りと出版をかねていたのですから、商店と類似のところもあり
ましたでしょう。
小尾俊人さんが尊敬する洋書屋さんのご主人の経歴を、この本のなかで記しています。
「明治45(1912)年、十三歳で、当時九段下にあった堅木屋という洋書専門の古本
屋に奉公に入った。堅木屋は明治十年代の創業で、絵草子屋から洋書屋の道を切り
ひらいた男まさりの女性、内藤よし子の経営の店であった。半分は洋書、半分は和書
の棚だった。・・・・店で小僧として、のちには番頭として、働いたのだった。
大正9年には一橋大学が近くに出来た。
 二十五歳で独立して店を持ったが、かれは意欲的だった。『とにかく次の時代には、
少なくとも本場で修行をしなくては、いい意味での洋書屋になれないと思い、ドイツ
のヘラースベルクという古本屋に丁稚奉公したいと手紙を出したら、いまここは
インフレで失業者が多く、またギリシャラテン語くらいできなければ駄目だ、
と断られた』由。第一次大戦後のことである。」
 小尾さんが尊敬する「洋書屋」さんは、原書店のご主人原広さんというかただそう
です。この方の80歳の誕生日のお祝い会に際して、小尾さんが「オマージュを捧げる
機会をもった」のだそうです。このオマージュの冒頭は、次のようになります。
「 私は、いわゆる大学という場所で学んだことはないのですが、私にとってそれに
当たるものは神田本郷、または中央線沿線の古本屋さんでした。なにか疑問とか
探しごとがあれば、必ず答えてくれます。それは先生の役割でした。」