本が生まれるまで2

 みすず書房の創業の一人で、編集責任者をながらくつとめた小尾俊人さんが、
最初にはいったのは同じ長野県の代議士 羽田武嗣郎さんが起こした羽田書店でした。
これは1940年のことで、ちょうどこの年に筑摩書房が生まれています。
 羽田書店で検索をかけますと、この出版社は、羽田武嗣郎(はた ぶしろう)さんの
関連ででてきました。( 昨日にも記しましたが、羽田孜さんのお父上になります。)
「 昭和4年(1929年)東北帝国大学を卒業する。東北帝大では、阿部次郎に私淑する。
東北帝大を卒業後、東京朝日新聞社に入社し、記者となる。政治部記者から鉄道大臣
秘書官となり、昭和12年(1937年)4月20日立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙
に立候補し、当選する。同年6月岩波書店岩波茂雄の勧めで羽田書店を開業し、出版業
を始める。」
 岩波茂雄さんも信州でありますから、同郷の先輩にすすめられて出版社をはじめたの
ですね。この羽田さんは、阿部次郎に私淑とありますから、出版に進んだとしてもおか
しくはないのでしょう。この羽田書店からの出版物には、阿部次郎のもののほか、宮澤
賢治の選集などもだしているとのことです。
 これでいくと、小尾さんの入社は、会社ができて3年後のことで、それから数年在籍
したことになります。
 信州に限らず、昔の田舎の秀才は、家が貧しければ立身出世をはたした同郷の先輩等
がひきとって面倒をみることがあったようです。( 最近では岩手県選出の代議士が、
政治家志望の青年を自宅に住み込ませて、大学卒業後に秘書として面倒をみてきたと
いう話しが話題となりましたが、戦前には、このような話は、けっこうあったの
でしょう。)
 講談社の創業者 野間さんも住み込みで仕事をさせて、夜は学校に通わせ、卒業後も
見込みがあれば、講談社で働かせたとありますが、こういう仕組みは、広く日本に
あって、出版社もそれにあわせていたのでしょう。
 羽田書店の小尾さんが、そのようなはたらき方であったのかどうかわかりませんが、
「本が生まれるまで」の略歴には、「1940年出版業に入る。1943年まで羽田書店に
勤務」とありますが、「昨日と今日の間」(幻戯書房)所収の「一同級生の思い出」に
は「私は昭和十七年春、明治学院英文科に入学しましたが、・・・」とありまして、略
年譜とあわせると、これは羽田書店に在職中のことのようです。
 岩波には小僧さんという働き方があったのかどうかわかりませんが、かって社長で
あった大塚信一さんが、まだ駆け出しのころ、林達夫さんのところに原稿をとりに
いった時に、林夫人に「岩波の小僧さんがきたわよ」といわれて驚いたということを
紹介したことがありますが、岩波にも、信州からでてきて店員をつとめていた人が
いたのでしょう。(小林勇さんなどは、そうした一人でしょう。岩波茂雄の娘と恋仲に
なって、岩波に猛反対をされたというのは、有名な話です。)
 「筑摩書房の三十年」の巻末には、昭和45年6月現在の「社員一覧表」というのが
掲載されていますが、ここには165名の名前がのっていて、その最後のほうに「少年
社員」という肩書で、三人在籍しているとあります。「少年社員」でありますか。
なかなか含蓄のあることばではないですか。
 「少年社員」という言葉で検索をかけましたら、次のものにあたりました。

僕は少年社員―すべての少年と永遠に少年の心を持つ人に贈る

僕は少年社員―すべての少年と永遠に少年の心を持つ人に贈る

 この小川さんは、筑摩の元社員ですが、「社員一覧表」の制作部にお名前がありまし
た。