岩波「図書」2月号3

 本日も、中野三敏さんが記している地方版について文章からですが、まずは次の文が
目につきました。
「板木の彫りや刷り、また装丁・製本の具合が、三都書肆のそれに何ら見劣りせぬもの
であれば、大方の実務は三都書肆の手になるものとしてまず間違いはあるまい。江戸
出来の通俗書や戯作類を、初め『地本』と称したのも、恐らく京都版に比べて、その
出来栄えの悪さから敢えて地方出版の意味の『地本』という卑称を用いたもので
あろう。」
 江戸時代における京都出版ものが特別な位置にあったということが、これからわかり
ます。こうした江戸の「地本」も、たくさんでるようになってきましたら、それなりに
レベルは上がってくるのでありました。
 専門家にいわせると地方版は、三都で作られたもの以外は、出来の悪さが歴然として
いるのだそうです。
「版面を見れば行間のサラい残しが至る所にあり、墨付きの刷りムラが目立ち、表紙
なども本文と共紙のままをコヨリ綴じで済ませたり、お世辞にも上手な仕立てとは無縁
の出来栄えで、これは何点かの実物を見れば、誰の目にも簡単に判断がつくのがほとん
どである。」
 地方版ということで、作り手がいない状況にあっても、地方で出版を行うということ
についてはまだ理解ができるのですが、地方にあって、京都、大阪、東京に依頼して
出版を行う仕組みがよく理解ができません。その当時には、すでに出版を仲介する業者
がいて、その仲介者が、代金の決済代行もしていたということでしょうか。
 先日に網野善彦さんの本を読んでいましたら、ずいぶんと昔に代金決済の仕組みは
できていたとしか思えないとありました。現代にも地下銀行ということばがあったり、
国交が無い国へと送金をする話しとかを聞くことがありますが、この仕組みがいまで
あっても当方にはちんぷんであります。