国語の教科書28

 国語の教科書に登場する青柳瑞穂さんは、極め付きの愛妻家のように見受けられ
ますが、瑞穂と同じ敷地の家で育った孫のいづみこさんによれば、教科書にのる
ようなお行儀の良い人ではなかったようであります。
 しかし、教科書で臼井吉見が青柳瑞穂さんに言及しなければ、青柳瑞穂を知る
こともなく、「ささやかな日本発掘」を古本で購入することもなかったでしょう。
青柳いづみこさんの本で購入したのは、「青柳瑞穂の生涯」だけでありますから、
教科書の影響力の大きさであります。
「 ささやかな日本発掘」の舞台となる静岡の村は、亡くなった青柳の妻 とよさん
のふるさととなるのですが、とよさんとの出会いの頃について、いづみこさんは、
次のように書いています。(いづみこさんは、瑞穂ととよさんの長男の子です。)
「大正8年に東京にでてきた瑞穂が最初に出会ったのは、とよではない。・・彼女の
姉の方である。名前をお千代さんというその人は、歌を詠んで雑誌に投稿するなど
なかなかの文学少女で、両親が東京に借りていた東大久保の家から女子学院に通って
いた。」
 大正8年に、静岡から東京にでて女子学院に通わせるのですから、よほど裕福な
家で生まれたのでしょう。娘たちを学校にいかせるために、東京で家を借りるという
のもすごい。
「お千代さんととよは、あまり似ていない姉妹だったらしい。お千代さんは文才が
あり、ふくよかな平安顔で妹よりもずっと美人だったが、ひどいヒステリー持ちで、
しばしば発作を起こして周囲のものを苦しめた。対して妹のほうは、容貌の点では
姉に劣っていたかもしれないが、愛情豊かで音楽の才に恵まれ、マンドリンを上手
に弾いたという。」
 美人で、ヒステリー気味の姉と、美貌ではすこし劣るが気だてのいい妹という
二人です。青柳瑞穂のすぐ近くに、こうした魅力的な姉妹がいたのです。
「 才色兼備のお千代さんと恋仲になった瑞穂は、柏木の家でしばし同棲生活を
送ったが、お千代さんは大正9年2月に亡くなった。表向きはスペイン風邪が原因
だということになっているが、実は瑞穂との間にできた子どものお産がもとで亡く
なったのである。・・赤ん坊も、その一カ月後に死んだ。」
 いづみこさんの本には、瑞穂と千代、とよ姉妹の三人が一緒に写っている写真が
あります。お千代さんと恋仲になったのですが、とよさんとはどうであったのかと
思わせる写真です。
「 ときどき思いがけないことをして人を驚かせたという彼女(とよ)は、ある日
両親のもとを出奔し、ほとんど着物一枚で瑞穂のところにころがりこんできたので
ある。瑞穂は、この妹とも結婚するつもりはなかったらしい。瑞穂たちが入籍した
のは大正12年12月だが、長男である茂(いづみこの父)が生まれたのは翌年の
5月であり、子どもがでてきたのであわてて入籍したことがわかる。」
 この「青柳瑞穂の生涯」(平凡社ライブラリー版)に青柳瑞穂の略年譜がついて
いたら、もっと便利であったのにと思いながら、前後をみましたら大正15年に
27歳でやっと慶応大学を卒業とありました。大正9年というと21歳くらいで
すし、大正12年でも24歳です。学生で仕事はしていないはずですから、この
生活を可能としたのは、双方の親元からの仕送りでしょう。