小沢信男著作 154

 昨日に引用した小沢信男さんの文章に「大正の青春」という言葉がありました。
ともに「アララギ」によって歌作に励んだ松倉米吉と高田浪吉の友情であります。
松倉米吉について、小沢さんは次のように紹介しています。
「その年(伊藤左千夫が亡くなった1913年)『アララギ』へ入会した十八歳の若者がいた。
松倉米吉。新潟に生まれ、小学校卒業後上京し、本所に下宿して、メッキ工、金属挽物工
などを転々としつつ、短歌を詠んだ。ほどなく結核を病み、短歌仲間に看取られて築地の
海軍施療病院で夭折。大正八年、二十四歳だった。
 裏街の朝のたけゆく軒かげに羅宇屋はひとり火をおこしをり
 老工女は稼ぎにゆきぬやがて児の茶碗を鳴らす音ぞきこゆる
 かなしもよともに死なむと言ひてよる妹にかそかに白粉にほふ
 
 都会の貧困、それ自体の、つましい表現である。おりから第一次大戦期。遠い欧州の
戦争景気で成金続出し、紀文そこのけの栄華が演じられている一方で、裏町のこういう
シンプルライフのせつなさがあった。みじかい命に代えて歌いとどめた遺稿は、友人たち
の手で、『松倉米吉歌集』一巻に編まれた。
 最後まで看取った親友高田浪吉の歌。
 枕辺に危篤の端書かきをればわれにかきよき場所教へし
 耳もとに米吉の名を呼びにつつ肩ゆすぶれど瞳ひらかず  」