国語の教科書27

 臼井吉見さんは、国語の教科書に「青柳さんは、この村が好きになり、ひんぱんに
訪れては、村人となじみを重ねることになります。それというのも、ここは青柳さんの
妻であり、今はなき人の生まれ在所だからです。妻への愛情のため、彼女の生まれて
育った家、彼女の通った小学校への道、ひいては、この村全体を熱愛するようになった
というのです。」と書いていますが、臼井さんは、「ささやかな日本発掘」にある
青柳瑞穂さんの文を文字通りに受けとっているのですが、どうも、そう単純な話しでは
ないぞというのが、青柳瑞穂さんの孫である「青柳いづみこ」さんが書いた著書の教え
であるようです。( 出た時にすぐに買ったのに、これまで読む機会がなくてきていま
した。今回の「教科書」、「ささやかな日本発掘」とたぐってきたら、当然のように
「青柳瑞穂の生涯」に手が伸びました。前に購入時に、すこしのぞいてみて、家庭人と
しての青柳瑞穂に疑問を抱いていたのかもしれません。)
 青柳いずみこさんの「青柳瑞穂の生涯」には、「ささやかな日本発掘」にあてられた
一章があります。
「青柳瑞穂が、新潮社からの依頼で八十枚の連作エッセイ『ささやかな日本発掘』を
書いたのは、昭和33年(1958)秋、59歳の年である。これは翌年6月、『日本文化
研究』第5巻・七に収録され、新潮社から刊行された。・・・・
佐藤春夫の)推奨が功を奏したか、35年10月、『ささやかな日本発掘』は、折にふれ
て綴った25篇の骨董随筆とあわせて同名の単行本として出版され、翌年早々、第12回
読売文学賞の評論・伝記部門を受賞した。担当編集者の片岡久によれば、森鴎外が老母
のためを思って作ったという『即興詩人』初版本にヒントを得た造本で、文字が大きく
余白の少ないノート・スタイル、緑色のクロース表紙である。」 
 新潮社版はちょっとかわった造本であると思っておりましたら、これはそういう
いわれがあったのでしたか。
上記に続いては、次のようになります。
「 出版されたとき、すでに瑞穂の前妻とよは亡くなっていたが、作品の舞台になって
いるのは、とよの郷里、静岡県引佐郡伊平村である。
 とよの実家である山本家は、伊平村に沢山の山林を持つ、富裕な地主だった。妻と
共に山本家を訪れた瑞穂は、すっかりこの地が気にいってしまい、義兄の気太郎が
当主になってからは、休みのたびに長期滞在するようになった。もともと人なつこくて
友達をつくるのがうまかった彼は、・・村人たちから情報を得ては、浜名湖周辺の民家
や寺で、数々の古美術を発見した。なかでも都田川べりのある農家で発見した平安時代
の壷は、この時代にきわめて珍しい自然釉の壷の代表として、数々の展覧会に出品され
た。」