国語の教科書31

 筑摩書房の現代国語教科書から話題をいただいていましたが、高校3年の最後に
おかれた臼井吉見さんの「三冊の本」には、後年になっての青柳瑞穂との出会いが
用意されていました。数十年ぶりで教科書を取り出してきて臼井吉見さんの文章を
読んで、「ささやかな日本発掘」は「青柳瑞穂の亡き妻への愛情の深さ」によって
書かれたものという見解を目にすることになるのですが、この時期には、
青柳いづみこさんが書かれた「青柳瑞穂の生涯」がでているものですから、これも
併せて読むことができます。
 青柳瑞穂という古美術愛好の文学者の、身勝手さなどが明らかになっている今と
なっては教科書での取り上げ方もかわってこざるを得ないでしょう。
 亡妻とよの在所に足しげく通っていたことについても、いづみこさんの記述では
次のようになります。
「瑞穂たちが頻繁に伊平村を訪れたのも、骨董を掘り出すためというときこえがいい
ようだが、要するに、伊平に行きさえすれば充分に食べられたからだ。一家は、毎年
夏休みになると、そろって山本家に長期滞在して生活費を浮かせるのを常としていた」
「瑞穂は、まるで魔法の杖を手に入れたお伽話の王子さまのようだ。・・童話である
からには、王子さまの願いを何でもかなえてくれる魔法使いがいなくてはならい。
そして、実際に瑞穂は、そうした魔法使いを一人かかえこんでいた。妻の兄山本
気太郎である。気太郎は、自身も慶応の仏文科に学び、古美術にも深い関心を持って
いたため、瑞穂のよき理解者であると共に、骨董買いの隠れたスポンサーともなった。
・・・高いものは山本家に出資してもらう。安いものは自分で買って、後に高い値段
で売る。コレクターとしての瑞穂は、まさしくメルヘンの王子様的レベルの幸運に
恵まれていた。」
 家庭をかえりみない瑞穂のせいもあって、いづみこさんの父(瑞穂の長男)は、
同じ敷地に住まっていても、交流を断っていたとあります。
なんとも教科書的ではない人物であります。そういえば、太宰も坂口安吾もともに
教科書的ではないのですが、文学者なんて教科書的な生き方をしては大成しないと
いうことを遠回しに教えてくれていたのかもしれません。