「イヤダカラ、イヤダ」3

 「イヤダカラ、イヤダ」なんてことは、ふつうの人がいって通る話しではあり
ません。それなりに筋のとおった理屈が必要でありましょう。
 大岡昇平さんは、なにか辞退に関して記していないかと「成城だより」を手にして
見ましたが、この「成城だより」の初回が始まったのは80年で、ご本人が辞退した
のは、71年とありますので、芸術院会員辞退に直接関係するところはないようで
あります。
 それでも、骨っぽい発言をする大岡のことですから文学賞の受賞辞退に関しては、
次のようにいっています。
「 曽野綾子氏の女流文学賞辞退の快報に接す。理由は女史の信念の問題にて、他人の
容喙を許さざるものなり。受賞決定時、夫君とともにヨーロッパの航空機上にあり、
その意を聞かずに発表する世話人の軽卒なり。筆者は谷崎賞最終候補作とする段階に
て、作者の承認を得ることを提案せしばかりなれば、少し鼻高し。近時、賞の増加と
共に、その権威相対的に低下しあること、選考委員も出版社も自覚せざる驕り、この
事故を生む。」
 上の文章は80年9月の日付となっています。候補にした時に、本人の同意を得る
べきであるというのは、この時代でも芥川賞では行われていたこととありました。
これは知りませんでした。
 大岡昇平にしてみれば、知らぬうちに候補作にして、ろくに読んでもいないと
思われる選考委員によって落とされるのは不本意であるということのようです。
「 故平野謙曰く『結局みんなあの長いのを読むのが面倒だったんだよ」老廃選考
委員の害、故立原正秋のは八年ばかり前の摘発にも拘らず、文壇全般をおおいて
改まる気配なし。全部が全部そうではなかろうが、老廃文士選考委員の地位にしがみ
つきて、自分の愛顧する後輩のもののほか、読まずに出席す。喜劇にして不正なり。」
 こう書いたときの大岡昇平は74歳であったようです。そんなに若かったのかと
思いますが、こうした選考委員の「喜劇」はいまはなくなっているのでしょうか。