百歳までの読書術

 「本の雑誌」二月号が、「百歳までの新読書術」という特集をやっています。
 限りなく百歳に近い人へインタビューがあったりすれば面白いのですが、この特集の
年長さんは赤瀬川原平さんとか、津野海太郎さんの70代でありますので、まだまだ先は
遠いであります。
 津野海太郎さんは、この特集で大岡昇平さんの「成城だより」(講談社文芸文庫版)を
とりあげています。これをきっかけにひっぱりだしてきて読んでみようかしらんと思って
おりましたら、本日、ぶらっとはいったリサイクルショップ内にある図書コーナーの均一
棚(百五円)で、文庫版「成城だより」上を入手しました。下があれば、もっとよろし
でありますが、まあ欲張ってはいけません。

成城だより 上 (講談社文芸文庫)

成城だより 上 (講談社文芸文庫)

「成城だより」上で、この時期の話題から引用。これは1980年のことであります。
「 二月六日 水曜日 晴れ
 厳寒。午後1時より青山斎場にて、『海』編集長塙嘉彦君の葬儀あれど、風邪こわく欠
礼。先月十六日、順天堂大病院へ行った日、お隣の東京医科歯科大病院に見舞わなかった
のが、心残りとなったが、どうせ会えなかったのだった。十二月二十八日蜘蛛膜下出血し
てからは絶望だった。いびきを書いて眠る姿を見ることも、多分だめで、奥さんにあいさ
つするだけだったはずであった。一月二十五日午後八時三十一分永眠。お通夜に家人を
代参させた。
 惜しい人に死なれたものである。一九七五年秋、彼が編集長になった年、私はほかの
ところでおう外の『堺事件』を論難した。国文学界の反論が予想されたが、私にはこれ
以上おう外を難ずる気はなかった。」
 この後に、この「堺事件」への資料収集に、塙編集長が協力してくれたとあるのでし
た。
「資料編纂所に入っているフランス側史料と突き合わせて、私なりに事件を再構成するに
止めたいというと、塙君は史料のコピーとその公表許可をフランス政府から取ってくれ
た。しかしその後、私は体調をこわし、作品は実現せずに今日に到っている。・・
 私は事件を再建することをもって答えに替えるつもりである。それだけに塙君の助力
をあてにしていた。フランス人で事件に興味を持つ人を紹介してくれることになって
いた。それらのことが氏の急逝によって不可能になったのは打撃だが、史料集めは大体
終わっている。あとはひとりで仕上げるのが塙君の霊に対しての私の負い目になった。」
 これは八十四年から「中央公論文芸特集」(「海」がなくなったのですね。)秋号から
連載となり、八十九年11月に単行本として刊行されました。どうしたわけか、これを購
入しているのを思い出しました。たぶん、「レイテ戦記」を文庫本で読んだ勢いで、購入
したものでありましょう。未読二十二年であります。
堺港攘夷始末

堺港攘夷始末