昭和の雑文家番付2

 相撲の番付というと、以前は本場所が終るごとに新聞各紙で次の場所の予想を掲載
していたものです。熱心な相撲ファンの方の中には、自分なりの成績分析に基づいた
翌場所の番付編成を行っている方がいらして、相撲協会の番付をチェックしている
のでした。(当方は、横綱で優勝した人が、次の場所において東正横綱になるのだと
いうくらいしかわかっておりませんが、このほかにもたくさんの決まりがあるようです。
たとえば、幕下15枚目までで全勝優勝をしたら、翌場所は十両に昇進するとか。)
新聞に掲載は、上位力士の番付予想しかのらないのですが、番付で最初に決めなくては
いけないのは、前頭からおちる人と昇格する人を固めることでありました。
 「本の雑誌」11月号の「昭和の雑文家番付をつくる」というのは、編集部が坪内祐三
さんに依頼をして、坪内さんが作成したリストをもとに話しが進んでいきます。
 このもとになったリストをつくるにあたっての坪内さんの基準は、次のようなもので
あります。
「 週刊誌あるいは新聞掲載をしたというのを基準に番付編成会議用として思いついた
人を66人リストアップしてきたんですけど、まずね、横綱審議委員会としては内田
百けんと植草甚一を東西の横綱に推薦しておきたい。内田百けん文人系というか作家
系雑文家の横綱
 こういう提示から植草さんが東、百鬼園先生が西と決まり、大関と小結が同時に議論
されたりするのでありました。坪内さん、亀和田さん、目黒さんと皆が関脇とか小結、
前頭の格にこだわるのであります。
 そういえば、昔の相撲というのはずいぶんと強い力士が多くて、番付の中身は濃い物
であったと思います。最近はすぐに大関に昇格してしまうという印象がありますが、
昔の長谷川というお相撲さんは、大関よりも強いと評判でありましたが、どうしてか
昇格基準をクリアできずで昇格することなく終って、強い関脇の代表的な存在になり
ました。 
坪内さんの「雑文家の面白い人って関脇なんですよ。だから東は四人くらい関脇が
いてもいいんじゃない?むしろ東の大関をどうするかだね。関脇のほうがある意味
かっこいいから。」なんていう発言は、相撲の全盛期であった昭和の番付を頭において
のことでありますね。
ちなみにこの番付で関脇となったのは、虫明亜呂無草森紳一東海林さだお
山口瞳の四人であります。これはなかなか個性豊かなメンツが揃いました。