疎開小説

 久世光彦さんの文中に「疎開小説」ということばがありましたので、これで検索を
かけましたが、このようなジャンルが確立して定着しているわけではありません。
 「疎開」体験にこだわっている作家には、小林信彦さんがいらして数年前に、
これに関しての著作(小説にはあらず。)を発表しています。
 「疎開小説」として思い出すものとしては、映画「少年時代」の原作となった
「長い道」柏原兵三さんのものがありました。柏原さんは、富山県高岡市疎開した
のでありますが、高岡出身の藤子不二雄Aさんが、これをコミックスにして有名と
なりました。
最近は、新刊としては入手することができないようで、残念なことに藤子さんの
「少年時代」も、柏原さんの「長い道」も入手ができないようです。
( 篠田正浩が監督をした「少年時代」は、その主題歌を井上陽水が歌って、
いまも聞くことができます。
 )

 疎開というのは、基本的には都会に住む人が、地縁、血縁、人の縁をたよって戦火に
あう可能性がより少ない田舎へと逃れることでありまして、都会人は一応にカルチュア
ショックをうけるのでありました。疎開のスタイルには、個人でいくものと、集団で
いくものがあったようですが、多くの場合には小学生(当時でありましたら、国民
学校というのでしょうか。)の集団疎開だったようです。
 柏原兵三さんの「長い道」について書かれた「野海青児」さんの文章には、次の
ようにあります。
「『私の故郷は入善町吉原であり、しかも、なぜ私が小説を書くようになったか聞かれ
たら、戦時中、私がこの吉原に疎開していたからであると答えたい。』
 あなたは芥川賞受賞後、地元入善町主催のパーティに出席のため帰郷したとき、こう
おっしゃった。つまり、柏原文学の文学的郷土の一つがここにあったわけである。
そして文学的出発は疎開中の学校への往復のリンチをテーマにした『長い道』に
あった。『長い道』を書きはじめたのは中学生のときからだったという。農作業に
おいて祖母の手引きもあって、苦痛に耐えながら、その儀式ともいえる作業をこなした
のに、田舎のどす暗いとさえあなたに感じさせた『長い道』での儀式(リンチや村
八分的行為)に対して、都会っ子のあなたの神経はすり切れるほどであった。あなたに
加えられたものは、同級生たちからすれば、それほどひどいものでなかったことは、
『長い道』の完結編ともみるべき『同級会』でも明らかにされているが、あなたの
被害者意識は強く、父の故里への疎開時代はあなたにとって呪わしい時代であったに
違いない。」
 柏原兵三さんは、高級官僚の息子とあります。たしか千葉大医学部に入学してから、
東京大学文学部に入りなおして、独文専攻でありました。
疎開児童を迎える、田舎の子供にしたら、格好のいじめの対象であったのかもしれま
せん。戦火でのがれてきた児童が、とっても頭が良くっても、一生田舎を離れる
ことがなくって、将来も農業を継ぐしか選択肢のない、田舎の子にとっては、
頭の良いことには、なんの意味もなかったのでありましょう。