疎開小説6

 柴田道子さんの「谷間の底から」(岩波少年文庫版)は、おすすめですといって
紹介しようと思ったのですが、この本が見つかりません。ずいぶんと前に読んだもので
ありまして、内容も忘れてしまっていますので、具体的に紹介することができません。
 昨日に引用した「戦争が生んだ子どもたち」は、柴田道子さんの著書「ひとすじの光」
に収録されているものですが、初出は「思想の科学」1959年8月号でした。
思想の科学」のつながりで、柴田さんの没後に編集された「ひとすじの光」解説は
鶴見俊輔さんが書いています。
「柴田道子は、1957年から8年にかけて『こだま』という同人雑誌に、『谷間の底から』
を連載した。この作品は、第二次世界大戦の末期におこなわれた学童疎開について、
かっての疎開児童自身の手によって書かれた最初の長編小説である。・・・
『谷間の底から』は1959年9月に東都書房から出版された。小説の出版は、その作者を
その後ジャーナリズムの世界にとじこめるものだが、柴田道子の場合には、そういう
ことがなかった。この作品の出版自身が一つの出発点となって、彼女は、作家という
よりはるかに多面的な普通の社会人として生きはじめた。・・
 柴田道子の小説『谷間の底から』は、親元からはなれた小学生たちがおたがいに助け
あって、ある時には大人たちと対立して生きてゆく物語である。男の子と女の子のつき
あいについて、いわれのないうたがいを先生にかけられてあやまらせられるところ。
主人公の五年生が、班長の六年生にはだかにされて、からだの形についてみんなに批評を
されてはずかしめられるところ。こどもたちのために配給されたカニのかんづめが、
いくつかなくなっていて、生徒がとったとうたがいをかけられるところ。ところが、
そのかんづめを、ふたりの先生が食べているところを主人公は見てしまう。」

 柴田道子さんの「谷間の底から」は、学童疎開(集団疎開)先での日々を書いている
ものですが、この作品が心に残るのは、作者の次のような認識によるものでしょう。
「 東京空襲がはじまり学童疎開が呼びかけられると、わたしはまっさきに応募した。
病弱だし縁故が田舎にあるのだからと、校医にはねられてしまう。するとますます
お国のために学童疎開の方を選びたくなる。教師にお願いして、やっと許しがおりた。
体は弱いが成績も素行もよいからということであった。わたしは実によい皇国少女
だった。・・・
 疎開中、最高学年になったわたしは、教師の指導のもとに、下級生を統率してきた。
当時の教師の権威は絶対的であった。日常生活のなかで、金次郎の教えよろしく、
教師の手を助け、弟や妹たちの世話をよくした。・・・
 当時のわたしたちに『東京に帰りたい』『おかあさんにあいたい』という言葉は
禁句だった。皇国少年少女はよくこの規律を守っていた。・・・
 頼もしい軍国少女であったわたしは、敗戦という体験がなかったら、今頃は優秀な
ファシスト小母さんになっていただろう。敗戦はわたしの精神の、大きな折り目の
ひとつになっている。」
 小学生というのに、まったくかっての皇国少女というのはけなげであります。
こうした優等生が、皇国少女として戦時体制を支えることになったのですが、この
ようなけなげな子どもの姿は、いまでも世界のあちこちで見ることができるようで
あります。