真青な夏 2

 昨日に続いて、久世光彦さんの「昭和幻燈館」に収録されている「真青な夏」から
話題をいただきます。
 「なぜあの年の空が青かったかを説明してくれた人がいた。ほとんどの主要都市が
破壊され、あるいは破壊はされてなくてもあらゆる生産工場が機能を停止してしまった
ので、空を汚染するばい煙のたぐいがその年の夏から秋にかけては日本の空になかったと
いうのである。その通りなのだろう。その上、そこには心理的なものが加わる。あの
ころ、私たちは青空を見ている時だけ、穏やかで優しい気持ちになれたような気が
する。これから先、何処へいくのかは何もわからなかったけれど、何かにおわれる
日々が突然に終わったという、肩すかしでも食ったような心の中に、青空は見る見る
しみ通っていったのである。」
 久世光彦さんは、たいへんな読み巧者でありますが、それでも高校生でこの世界に
はまるというのは、なんともはや「渋い」ことであります。
「 太宰や安吾の全盛の中で、高校生の私は小沼丹の小さな小説たちを大切に大切に
読んでいた。
『村のエトランジェ』は<疎開者>のことである。・・・・
疎開小説>と言えば安っぽくなるし、<少年小説>と呼ぶのも無礼に思えて気が
ひける。珠玉の『村のエトランジェ』を私たちは何と呼べば良いのだろう。・・
 大切に大切にもっていたつもりなのに、いつの間にか『村のエトランジェ』を
なくしてしまった。確か新書判の小さな本であった。」

 上に引用した久世さんの文章を読んで、よくわからないというところがいくつかあり
ます。たとえば、「<疎開小説>とい言えば安っぽくなる」というのは、そのひとつで
ありまして、戦後まもなくの時代には、「疎開」をテーマにした小説がたくさん発表
されて、<疎開小説>と聞いただけで、お涙ちょうだいのものが人々の頭に思いうかぶ
ようなしかけになっていたのでしょうか。
 もうひとつは、小沼丹の「村のエトランジェ』のことを「確か新書判の小さな本」と
していることでありまして、「村のエトランジェ」にそのような刊本があったという
記録は見たことがありません。みすず書房からの元版の書影は、今回にでた講談社
文芸文庫にありますが、もちろん、これは新書判とはちがうものです。
 久世さんが、この本のことを「確か新書判の小さな本であった」と記したのは、
小沼丹の小さな小説たち」には、小さな本がふさわしいとの思いからあえてそう
書いたものでしょうか。