疎開小説2

 昨日の日記に柏原兵三さんは、高岡市疎開をしたと記しましたが「sheepsong55」
さんにコメントをいただきましたとおりで疎開先となったのは、柏原さんの父上の
出身地である富山県下新川郡入善町であります。このことについては、読売新聞
読書欄でのとりあげがあるともご教示いただきましたが、それは以下のアドレスと
なります。
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20051213bk01.htm

 疎開した土地で経験したことを作品にまとめたりして発表した文人というのは、そこ
そこいるはずですが、斉藤茂吉などの場合は仕事をやめていたこともあって自分の
ふるさとに隠居していたというように見えたりします。疎開というからには、無理矢理に
その場所を離れずにはいられなかったという切実さが見てとれなくてはいけないようです。
 そうした意味からは、都会の小学生こそいい迷惑をこうむったわけでありまして、
国の方針で疎開することを決せられて、疎開するのが国策ですから、これと違った選択肢
というのは存在しないのです。
 こどもとその保護者が悩むのは、疎開の是非ではなくて、学校として決した疎開先に
いくか、家族で用意した縁故先にいくかということで、疎開するかどうかではありません。

 柏原兵三さんの「長い道」は、柏原さんの疎開体験がもとになっていますが、疎開する
ことは避けられないものとして、作中で次のようにいっています。
「 父は僕が彼の故郷に縁故疎開することを強く希望し、それを決定ずみのように考えて
いたが、僕の気持ちはまだ本当に固まっていなかった。親しい友達と別れないで済む集団
疎開に参加したい気持ちを捨て切れないでいたからである。・・・
 縁故疎開をすれば、集団疎開とは比較にならない位、田舎という未知の世界に融け込む
ことができるだろう。土地の子供たちと変わりない毎日を送り、そうした生活から、父が
強調するように、都会では得られない数多くの貴重な体験を獲得できるに違いない。
もし先生や親しい友だちと別れないですむ集団疎開を断念して縁故疎開に踏み切ることに
なれば、きっと僕は間違いなくそうした意義の実現に努め、父の期待に応えるだろう。」
 結局のところ、「父の期待に応えるべく」少年は、父の故郷に縁故疎開して、ここで、
「都会では得られない数多くの貴重な体験を獲得」して、後年、それを小説にまとめる
のでありますからして、縁故疎開として大正解であったのでしょう。