わたしと筑摩書房5 

 文庫、新書をのぞく単行本で、これまで一番購入したのは、どこの会社のもの
でしょうね。簡単な記録はつけているものの、きちんとした統計はとっていません
ので、断定はできませんが、たぶん筑摩書房は一番か二番でしょう。(筑摩が
一番でなければ、どこが一番かというのが思い当たりません。新潮、岩波、
文藝春秋・・かな)
 柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」を見て、まず気になったのは二代目社
長である「竹之内静雄」さんについての評でありました。
和田芳恵さんによる「筑摩書房の三十年」では、次のように書かれています。
「 竹之内静雄が筑摩書房へ入社したのは、昭和十六年の三月一日であった。
竹之内は京都大学支那哲学科出身で、学生時代に、野間宏富士正晴と同人雑誌
『三人』をやった哲学青年であった。支那哲学科に学んだ竹之内は、深く吉川幸次郎
師事していたが、フランス文学科の落合太郎の推薦で、この前年三月にK書房に
入社した。
 若い竹之内静雄は、すぐれた原稿を、それにふさわしい最良の本に作りあげる
ことを第一の願いとした。K書房は大型出版社で、社員の数も多く、・・竹之内静雄が
期待しているような一流主義を押しとおすことができないように思われた。」
 結局、一年足らずで竹之内はK書房を退職し、それから縁あって筑摩に入ることに
なったわけです。
「『筑摩書房は創業一年足らずだ。君に来てくれといえるような出版社ではない。
けれども、もし来てくれるなら、編集のことは、いっさい君にまかせる。来てくれ
ないか。』
 と言った古田の言葉を、(竹之内は)記憶している。まだ駆け出しの編集一年生に、
深い信頼を示す古田の言葉は、働くなら、この人のもとで、という気を、竹之内静雄に
おこさせずにはいなかった。竹之内は、筑摩書房にはいる決心をした。古田という
人間に竹之内は、惚れ込んでしまったのだ。」
 筑摩書房に入ることを決心する前に落合太郎から、「岩波書店」に入る事を薦め
られていますが、これは「日本一立派な出版社だと思います。これ以上のところは
ないと考えますが、いわば、もう出来上がっているともいえます。」といって断る
ことになります。
 岩波が東京大学の人脈で柱ができているとしたら、初期の筑摩書房に京都学派の
ものがあるのは、竹之内静雄さんの功績であるといえるでしょう。
 こうした竹之内さんについて、柏原さんは次のように書いています。
「竹之内社長のパーソナリティは、古田さんと違っていて、極めて強権的な面が
強かった。しかし、彼のためにあえて言えば、彼はかなり損な役回りであったと思う。
とても評判のよい創業者古田氏のすぐあとの社長というのは、やりづらかったのでは
ないか。そして、彼なりに独自の路線をだすことを焦ったのではないかと思う。
また、古田氏が採算を無視した経営をしていたとき、経理を守って苦労したのも彼で
ある。・・
 そして、72年4月、このビデオ企画の失敗が大きな理由となって、井上達三氏が
新社長になったのだと、わたしは思っている。」