わたしと筑摩書房3 

 「本とわたしと筑摩書房」を購入したことで、古い「筑摩書房の三十年」をひっ
ぱりだしてきて、あわせて何か書きましょうとやっているのですが、なかなかうま
くいきませんです。「筑摩書房」は歴史が新しいせいもあって、権威主義的なところ
もよりすくないように感じています。
 小生は高校時代の3年間、筑摩書房「現代国語」をつかっておりまして、これは
今でも保存していますが、この教科書に収録されている文章からは多くの刺戟を
受けました。こどもの頃に、新潮文庫の「赤い鳥傑作選」を手にして新潮社を知り、
父の書架にあった斉藤茂吉全集で岩波書店を知ったのですが、筑摩書房は高校に
はいって一番好きな科目でつかう教科書の版元として知りました。
(以前にも記しましたが、森まゆみさんも筑摩書房「現代国語」への愛着を語って
いたのを目にしたことがあります。)
 小生の筑摩書房好みは15歳の時からでありますから、けっこう年期がはいって
いて、PR誌の「ちくま」については、最初の号からずっと定期購読しているのであ
ります。岩波とか新潮では歴史がずっと古いせいもありまして、このような近しさ
を感じないことです。

「本とわたしと筑摩書房」の著者 柏原成光さんは、10年ほど前まで「筑摩書房
の社長をつとめていたのですが、この名前はPR誌「ちくま」の発行人として裏表紙
にいつも名前がすりこまれていて、承知していました。この方が編集者時代に、どの
ような作家を担当していたかは知っていませんでした。
 店頭でこの本を手にしてなかをぱらぱらとみて、この本の購入を決めたのは、次の
ところを目にしたからであります。
筑摩書房の人でもっとも印象に残っているのは、原田奈翁雄氏である。私が入社
してから、彼が辞めるまで、長い間ずっと私は彼の部に所属して、いろいろな仕事を
させてもらった。だから私は、今でも自分は彼の一番弟子であると任じている。しか
し性格・仕事の手法は、まったく正反対であったといってよいだろう。それが私に
とってよかったのかもしれない。」
 原田奈翁雄さんは「展望」の編集長、「週末から」を創刊し、その後筑摩書房
退社、「径書房」を創業することになりますが、筑摩書房上野英信石牟礼道子
松下竜一などの著作が残っているのは、原田さんによるものです。
 原田さんは、戦争から戻って、一時期北海道で中学校の教師となるのですが、その
ときの教え子が山口昌男さんでありました。山口さんの「人類学的思考」には、中学
のときにであっった原田さんについての文章が収録されています。