わたしと筑摩書房8

 筑摩書房の二代目社長であった竹之内静雄さんの著書「先師先人」でとりあげて
いるのは次のような人々です。
 竹内勝太郎  竹之内さんの文学の師匠
 土井虎賀寿  著者が三高で教えをうけた哲学教師、奇人です。
 深瀬基寛   三高、京大英文学の先生。
 太宰治    いわずと知れた作家
 田辺元    異常に厳酷な哲学者
 落合太郎   岩波文庫に入っていた「方法序説」の訳者
 小島祐馬   著者の京大支那哲学史の先生
 大山定一   京大独文科教授
 吉田健一   
 武田泰淳    
 三好達治   詩人
 吉川幸次郎  京大中国文学の教授

 太宰治吉田健一武田泰淳をのぞいて、すべて京大に関係をした人でありまして、
土井虎賀寿、小島祐馬、吉田健一、大山定一と竹内勝太郎をのぞいては、筑摩書房から
個人全集をだしています。岩波書店とくらべると明らかに京都学派のものが多くある
ように思いますが、それは竹之内静雄さんの姿勢が反映していると思われます。

 柏原成光さんの著書では、「筑摩の原点・個人全集」ということになります。
「わたしがいた間の筑摩書房を、その土台のところで支えていたものは、文学全集
ほどめだたないが、いろいろの意味で、個人全集であったと言ってよいだろう。
この仕事は『ちくま』ではなく『筑摩』の仕事である。他社と比べて、筑摩の場合、
出版点数の中に占める個人全集の比率は、かなり高いのではないかと思う。それだけ
でなく、個人全集の作り方では、この業界でも指折りの実勢を持っていると言っても、
決して言い過ぎではないだろう。・・・・
 数多い個人全集の中で、筑摩書房に大きな貢献をしてくれたのは、『太宰治全集』
宮沢賢治全集』「柳田国男全集』の三点であると言ってよいだろう。・・
  この三点の全集は三点とも、創業者古田の深いおもいのこもったものである。
古田氏と太宰氏の深い関係はよく知られているところである。もし太宰氏が自殺
直前に埼玉の大宮に古田氏を訪れたとき、実際に古田氏と会えていたら、太宰氏の
自殺はなかったのではないかといわれている。このとき古田氏は、ほかならぬ太宰氏
の生活を転換させるための手配に故郷に帰っていて会えなかったのである。
運命である。」
 
 竹之内静雄さんの「太宰治の死」という文章は、4ページの短いものですが、その
終わりは、つぎのようになっています。
「 太宰治に8年ほど接して、最も忘れられない一語がある。それは、昭和16年
6月、長女園子さんが生まれた直後、二人で酒を飲んでいるとき、太宰さんはこう
言った。
『生まれてきた子供を見て、ああ、かわいそうだ、と思った。かわいい、のではなく、
かわいそうなのだ。」
 園子さんは、結婚したご主人が津島姓を名乗っているのですが、最近になって
次の衆議院選挙にはご子息を後継にたてるといって話題になっています。
園子さんの父親である太宰治が、この子はかわいそうといっているのは、津島家に
うまれたことによって受ける重圧についてであったかもしれません。