わたしと筑摩書房2

 昭和15年の中野重治というのは、どのような位置にいたのでしょう。
中野重治は、昭和13年に、執筆禁止になった。そのため、東京市職業紹介所を
通じて、東京市社会調査局千駄ヶ谷分室の臨時雇になった。戦時体制下で、危険な
影響をあたえると思われ、軍当局にとって好ましくない存在という烙印をおされた
執筆者たちのブラック・リストが出来ていた。これを編集者に匂わせる仕組みで、
執筆を依頼できないようにする、巧妙な弾圧制作をとっていた。・・・出版物に
対する検閲制度があるので、発売禁止をおそれる編集者は、危険人物と見られる
執筆者のところにへよりつかないようになった。中野重治が執筆禁止の措置を
うけたということは、こういう意味を持っていた。」
 現在はとりあえずは言論の自由が保証されているので、執筆禁止とか検閲制度がない
せいもあって、この時代において中野重治がたたされた状況をイメージすることができ
ないことです。
 数ヶ月前にある芸人さんが、ラジオでの発言を問題にされて、すべての番組から
おろされるということがありました。いつまで、この措置が続くのかはわかりま
せんが、言論の自由とはいっていても、このような現実はあるのですね。もうすこし
たってから、この役者さんを番組に使おうというメディアがありましたら、それが
筑摩書房のスタンスに近いのかもしれませんが、中野重治さんと、この芸人さんの
人間性とか考え方に類似はあるでしょうか。