私の本作り4 湯川成一

 湯川書房にゆかりの場所をめぐる旅というのを計画するとしたら、「仙台が親戚」
様に書き込んでいただいた喫茶店の名前とか、地名が参考になることです。
 湯川書房の終焉の地となった京都時代のことは、ここ10年ということもあり、
ネットでもすこしは情報を得る事はできそうですが、それ以前の大阪時代のことは、
写真も含めて、ほんとうに情報が少ないことです。
 当方にとっての湯川書房というのは、やはり大阪に基盤をもった限定本をてがける
出版社であります。大阪という地で「印刷から製本、製函、一冊の書物を作り上げる
に必要なすべての作業ができる工房である。そこには、版画を創作できる場所もある。
美しい書物を作りたいという同じ意思を持った者たちが寄り集まって揺籃印刷本時代に
逆戻る」という夢の実現に取り組んだのでしょうが、その夢は、夢のまた夢に終わって
しまったのでしょうか。
 湯川書房の一番よかった時代は、ほぼ限定本のみを扱っていた時代で「揺籃印刷」
を指向していたころのことでしょう。それから一般書に転じていったのには、いろ
いろなことがあったのでしょうが、この一般書の刊行が、湯川書房の性格を大きく
変えたことは間違いないことですが、このことがなくては当方には縁のない出版社で
終わったことになります。
 工房をつくるためには、一定の資金が必要となり、資金を確保するためには事業の
規模を大きくしなくてはいけなく、規模を大きくすると不本意なこともしなくては
いけないということになります。まったくもってやっかいで面倒なことでありまして、
理想と現実のあいだで神経をすり減らす本のプロデューサー湯川成一さん姿が浮かび
あがってきます。