私の本作り 湯川成一

 湯川書房 湯川成一さんが亡くなって1年になろうとしております。当方は生前
湯川成一さんが刊行した普通版を数冊購入し、「季刊湯川」を定期購読していた
だけですが、「季刊湯川」の思い出を拙ブログで取り上げたことから、湯川さんと
交流のあった「仙台が親戚」様から書き込みをいただくようになり、その後湯川さんを
追悼した「SPIN 04」や「湯川書房湯川成一の仕事」に、このブログを紹介して
いただきました。
 湯川さんには「季刊銀花14号」に寄稿された「私の本作り」という文章があり、
これは「SPIN 04」に収録すべきであったと編集された林哲夫さんが記しているのを
拝見したことがありますが、湯川さんが亡くなって一周年となるにあたり、なかを
取り持ってくださるかたがいて湯川夫人のお許しを得て、拙ブログで掲載をさせて
いただくことにいたしました。

         私の本作り
                           湯川成一
 読書を愛し書物を慈しむ友人がいる。その友人は限定本や豪華本の蒐集家では
ないが、文学関係の本ならほとんど買い込んでしまう。彼は、目指す本を買う場合に
同じ本でも仕上がりの美しい本を買わねば気が済まない。使用するうちには
汚れもし、自然に破損もするだろうけれど、最初のページを繰るときにできるだけ
美しいものを手にしていたいし、できれば読んだ後々まで形を崩さない本でありたい
と思っていると言うのである。大概の場合、発行されたその日のうちに買い込んでし
まうので美しい本を手に入れるのは造作のないことのように思えるのだが、この仕上
りのよい綺麗な本というのが実に厄介で、一冊の本を買うのに何軒もの書店を回ら
ねばならないのが常である。彼はいつも嘆息しながら言う。「本の装幀は年々悪く
なっていくように思う」と。
 私の刊行本はほとんど少部数の限定本であるわけだが、実は最初から限定本を
作ろうと意図したものでもなかった。無論、少部数に限定されたものには争い
難い魅力がある。しかし、その魅力も本を手にする側のことであって刊行者の側に
あるわけではない。私は自分の意のおもむくままに美しい本を作りたいと願った。
その結果として発行部数が限定されたまでである。上梓した本に発行部数だけ
記番号を明記して何部限定と称するのも、出来ぐあいの善悪は別にしても、一冊
一冊に対する愛着と自負心のためとでも言えばよいだろうか。先述の友人にかぎ
らず、書物を愛する人たちの中には、毎日陸続と発行される本の姿にうんざり
している人も多いと思う。折角の作品があられもない姿にさせられて嘆く人も
少なくないだろう。そのような人々は、その作品を一本にするにふさわしい本の
姿を想像するにちがいない。個人で限定本作りなど始めるのは、そのような人たち
の中で辛抱のしきれない短気者の業のように思えるが、窮極”本が好き”だからで
ある。それ以上でもそれ以下でもない。好きなことには理由もあり説明もつく
だろうけれど、どのように言い回してみても、一番肝心なところが欠落してしまう
ように思える。( つづく )