菖蒲忌 野呂邦暢2

 野呂邦暢さんがなくなったのは1980年5月7日ですから、それから30年ほどに
なります。芥川賞を「草のつるぎ」で受けたのが36歳の時で、それから6年作品を
発表し、まだまだこれからという42歳(厄年ですか)に、心筋梗塞で急逝したので
ありました。小生は、野呂邦暢さんが芥川賞を受けたときのことは知っていたの
ですが、その作品を読むようになったのは、なくなってからのように思います。
たしか、集英社文庫に入っている椎名誠が編集したアンソロジーのなかに、野呂邦暢
さんの「愛についてのデッサン」から作品がとられていたためでありました。
このアンソロジーがすぐにでてきませんので、いつころのことであったか、いまは
わかりません。
 昨日に記しました中野章子さんの「彷徨と回帰」については、昨年に「古本ソムリエ
さんの日記」で言及されているのを見ましたが、昨年みたものをそんなに記憶にとど
めておくことなどできませんので、はてな最近もみたはずと思っていましたら、思い
出しました。次の本にでてくるのでした。

豚を盗む (光文社文庫)

豚を盗む (光文社文庫)

 佐藤正午さんは、九州で生まれて、学生時代を北海道で過ごして、いまは故郷の
佐世保に戻って作家をしているという方で、とても気になる存在でありますが、
いまだ作品を読むにいたってません。ブックオフで作品を購入したことがあるよう
にも思うのですが。
 この文庫本はエッセイ集でありますが、佐藤正午さんのものは、小説よりも読書
エッセイのほうが好きになりそうです。
これは、書店で立ち見して「野呂邦暢」さんについての記述が目にはいりましたので、
すぐに購入を決めたものです。
「 野呂邦暢が急逝したのは1980年の五月で、僕だ最初の長編小説を書きはじめた
のはその翌年の同じ月のことだった。だからそれは1981年5月。
 と、そんなふうに僕の記憶の回路はつながっている。小説家への(のちに小説家と
しての)長い曲がりくねった道に自分じしんが第一歩を踏み出した年を忘れることは
あっても、野呂邦暢の突然の訃報に接した年のことは忘れられない。野呂邦暢の死は
いまなお記憶の中心にある。たとえば王貞治が現役を引退したのも、山口百恵が結婚
したのも、ジョンレノンがうたれたのも1980年のことだった。それらはすべて、
僕にとっては野呂邦暢がなくなった年の出来事なのである。・・・」
 上に引用した文章は、中野章子さんの「彷徨と回帰」を紹介する文章の冒頭部分で
ありますが、ちなみに初出は西日本新聞に95年5月に掲載のものです。
「 いまどき[十一月 水晶』や[猟銃』といった短編集をぼちぼち読み返している
のは世界中で僕ひとりではないかと密かに思っていたところ、[彷徨と回帰』と題する
評伝というべきか長編エッセイというべきか、とにかく野呂邦暢の読者にしか書けない
ことの確かな一冊が出版されて不意打ちをくらった格好である。
 この本のことは、あるいは野呂邦暢という作家への入門書、ハンドブックと呼ぶのが
正確かもしれない。生い立ちから早すぎる死までの四十二年間が作品に沿うかたちで
まとめられていて、これを読めばまず野呂邦の部がどんな小説を書いたのかという
こと、そして次に彼がどんな人生を送ったのかということについても、だいたいの
ところはつかめる。つかめるだろうと思う。」