本日は野呂祭り 7

 昨日に引き続き篠田一士さんの「創造の現場から」(小沢書店刊)に収録されて
いる「毎日新聞文芸時評」によって、野呂邦暢さんについて記されているところを
紹介しましょう。昭和55年6月のものです。昨日に引用した部分から、次のくだりに
話しがつながります。
「 先々月には、最後の作品になった長編小説『丘の火』が完結したが、たまたま、
五つほど連載物が終った月で、誌面が不足したこともあり、また、これといった褒め
言葉を書けそうにもなかったので、あえて敬遠させてもらったが、いまにして思えば、
悪口でも言っておくのが礼儀であったかと、これまた口惜しい気持ちがする。」
 篠田さんのことは、この本の帯で「当代きっての読書通、文学のグルメ」と評し
ていますが、当方は篠田さんの時評を「ミシュランのガイドブック」のように愛用
していたのでありますから、「諫早菖蒲日記」についての評を眼にしましたら、野呂
さんのことに注目せざるを得ないのでありました。
 この文章からも、篠田さんの無念さがよく伝わってくるように思います。

 野呂邦暢さんが亡くなったのは、80(昭和55)年5月7日のことです。その時の
様子を中野章子さんの「彷徨と回帰」から引用させていただきます。
「80年5月6日の夜、ふだんアルコールを嗜まない野呂は珍しく少しばかりのワイン
を飲み、母親相手に昔話を楽しんだ。友人に電話をかけておしゃべりをしたあと
ベッドに入ったが夜半になってにわかに苦しみだし、駆けつけた二人の医師が救急車
を呼ぼうとすると苦しい息のなかで『動かさないで』と頼んだという。医師たちの
懸命の手当もむなしく、七日午前三時半、激しい苦しみから解き放たれ静かに息を
引き取った。』
 亡くなったあと同居していたお母様は、「息子にとって本棚が祭壇です」といって
自宅での葬儀を希望したそうです。野呂さんの没後30年に本棚という祭壇に供える
ものとして、今回の新刊以上のものはありません。

夕暮の緑の光 (大人の本棚)

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