対論 異色昭和史2

 「対論 異色昭和史」には、60年安保反対闘争当時の写真が収録されています。
このときには、「声なき声の会」というのが結成されたのですが、その写真には
代表をつとめた小林トミさん、鶴見俊輔さんと一緒に上坂冬子さんも写っています。
上坂さんが「声なき声の会」と一緒にデモをしていたというのに、奇異な感をいだき
ますが、この時代には江藤淳なども安保反対派として名を連ねていたのですから、
驚くには値しません。写真のなかに上坂冬子さんを捜してみますが、最近のふくよか
な上坂さんは、そこに見当たりませんでした。この写真から50年もたっているので
ありますから、政治的な立場とともに容姿がかわっていても不思議ではありません。
この「声なき声の会」の写真に、上坂さんが写っていることの背景にあったのは、
次のようなことのようです。
 この本のなかで、鶴見俊輔さんが次のように語っています。
「上坂さんの連載をまとめて中央公論社から『職場の群像』という一冊を上梓しまし
たね。そして、これが第1回思想の科学新人賞を受賞した。その賞金を上坂さんは
たしか研究会に寄付として戻してくれましたね。
 私はあの金を高畠通敏に渡し、彼は事務局長として小林トミさんが代表をしている
『声なき声の会』の発足費用にあてた。岸首相が安保反対闘争の時、デモで騒いで
いる人より国民の声なき声を聞けといったのが揶揄されていた時だったので、その
まま会の名前にして反対を続けた。それがやがてベ平連に波及したわけだから、
上坂さんの新人賞カンパは根本的なところで『声なき声の会』と「ベ平連』に関係
していることになる。」
 もちろん、上坂さんは、デモの参加は、あとにも先にもこのときだけといって
います。それに続いて、安保に反対した理由は次のようなことからといっています。
「 安保とはどういうものかわけもわからずに、国を守るための条約が強行採決
されるのはケシカランという一点だけで、『思想の科学』のメンバーのデモに
加わりました。」
 上坂さんも動かしてしまう時代であったということですか。