対論 異色昭和史

 数日前に評論家 上坂冬子さんが亡くなりましたが、ほぼ同じころにPHP新書から
鶴見俊輔さんと上坂さんの対談集がでたという新聞広告を見ました。その広告を見た
時に、はじめて上坂さんという方が、「思想の科学」でデビューしたことを知った
のであります。

対論・異色昭和史 (PHP新書)

対論・異色昭和史 (PHP新書)

 上坂さんというと、なんとも保守的でいやな感じという印象をもっていましたが、
こちらも年齢をかさねてきますと、上坂さんのスタンスに理解できるところが多く
あるのでした。
 鶴見俊輔さんというと大御所でありますから、いまでは面とむかって批判的なことを
いわれることはないのではないかと思いますが、上坂さんはふるいおつきあいのせいも
あって、遠慮せず(歯に衣着せず)でありまして、これが小気味がよろしいことです。
 この本の前書きは、上坂さんによるものでありますが、これの日付は09年3月と
なっていますから、亡くなるひと月くらいまえに書かれたものとなるのでしょうか。
あとがきは、生きているうちに鶴見さんと対談する事ができてよかったということが
かかれていています。
「 今回の対談は、改憲派護憲派ということで企画が進み、互いに根本的な考え方の
違いがあることを確認しました。しかし、私が大東亜戦争にも”爽やか”な部分が
あったと申し上げたときに難なく賛同してくださった鶴見さんに、なんと柔軟性の
ある方だろうとあらためて気を許したところがあったのは否めません。戦時中の
ことを、このようにゆったりと思い出すことができる知識人は、いまの日本人の
中には、もうそんなにいないのではないかと思います。・・・
 鶴見さんと私には、お互いに違った部分と、それほど違っていない部分とがあり
ます。かってのような右か左か、というこだわりが意味をなくしたこの時代に、
二人の対談をもとに新書をつくりたいとおっしゃった時、私は二つ返事でお受け
しました。
 それが終わったいま、いい時期にいい対談ができたと大変喜んでいます。この時期に
話し合っておかなければ、私も鶴見さんももう話す機会がなくなっていたかもしれま
せん。そう思うと、間にあって本当によかったというのが正直な感想です。」
 ずいぶんと長い引用ですが、上坂さんの遺言ともいえるようなもので、亡くなるに
あたっての言葉は、ずいぶんと重たく響くことです。