女の夢 男の夢 5

 田邊園子さんの「女の夢 男の夢」は、三部構成となっています。
 この二部は野間宏さんについて、三部は大庭みな子さんについて書かれたものが、
まとめられているのですが、野間宏さんと大庭さんのおつきあいというのは、どの
ようなものであったのかと思わせる書きっぷりであります。
 野間宏さんは、「作家は女性を知らなくては作家とは言えない。僕はあなたのことを
何も知らないので、あなたのことを知る必要がある」ということを堂々と言う人である
のですからね。
 田邊さんは、大庭みな子さんが芥川賞を受賞したのちに、帰国してから会う事になる
のですが、そのときの大庭さんとのやりとりであります。
「 どういう仕事をしているのか彼女に問われて、私が野間宏の『青年の環』が完成
間近いと話すと、大庭さんは一瞬はっと息をのむように、口元をすぼめた。大庭さんが
芥川賞をとったとき、週刊誌にのっていた記事のなかに、学生時代、佐多稲子や野間
宏を訪ねたという発言があったことを、そのとき私は思い出していた。佐多氏はよく
覚えていて、野間氏は全く覚えていないそうだ、とその記事は伝えていた。
 1990年夏、出版社の依頼で、私は大庭さんについての短い原稿を野間宏から談話
筆記でとるため、入院中の野間氏を訪ねた。その時、野間氏は、学生だった大庭さんに
初めてあったときのことをよく覚えていると、私に話した。野間氏のいうことは、
どちらかがウソであるわけだが、・・・私にその矛盾をといただす気持ちを失わせて
いた。・・野間氏の亡くなる半年前のことだ。」
 この田邊さんが、最後に野間宏さんのところへといったのは上記の大庭みな子さんに
ついての文章をもらうためでありましたが、それについては、別なところでも、記さ
れているのです。
「 野間宏に最後に逢ったのは、この入院中だった。私はある出版社の依頼で、彼から
談話原稿をとるためにテープレコーダーを持参して病室を訪ねた。7月5日の午後の
ことだった。・・彼は近々刊行される大庭みな子全集の内容見本のための短い推薦文を
書きかけて、ベッドの上に何冊もの彼女の本を並べてページを繰っていた。・・
 大庭文学のなかには野間宏を彷彿とさせる人物が時折登場すると、作品名を擧げて
私が言うと、彼は口元にあるかなきかの微笑を浮かべ、とぼけるように、僕は鈍感な
ところがあって気づかない、と答えた。体は弱っていても彼の精神は衰えを知らず、
我儘な子供のような昔のままの様子を漂わせていた。」
 田邊さんが大庭みな子さんを評したことばには、次のようにあります。
「 大庭みな子は、デビュー作『三匹の蟹』以来、歪んだ歴史のつくりあげた『いびつ
な性』を排し、男と女の同等の相互作用による『本来の性』の出発点から創作に
むかっている、貴重な女性作家の一人である。」
 大庭みな子さんは、男性に従属する人では決してないので、学生時代の野間宏宅訪問
以後に、どのような丁々発止があったのかを想像するのは、なかなか興味深いことで
あります。