女性の編集者 2

 これまでもどこかで田邊園子さんの「女の夢 男の夢」から話題にしたことがあった
はずと思っていたのですが、これが見つからずでありました。なんのことはなしであり
まして田邊さんのことを田辺として、拙ブログのなかを検索していたものです。
今からちょうど3年ほど前のことでありますが、やはりそのときも女性の文芸編集者は
多くはないと記していますので、こりゃいかんです。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20090407
 昨日に竹西寛子さんは、筑摩書房出身であると記しましたが、本日に田邊さんの本を
見ていましたら、次のようにありました。田邊さんが竹西さんが「小田実全仕事」の
月報に寄せた文章を引用していたのです。
「その頃の小田実さんは、河出書房の編集室に、よく坂本一亀さんを訪ねて来られた。
もう十五、六年も前のことになる。坂本さんは当時、私の上役だった。隣の席にいて
しぜんに見聞するこの会見には、地方から状況した弟が、兄をその勤め先に訪ねる
ような雰囲気が、いつもはじめにあった。」
 なんとまあですが、竹西さんもはじめは河出書房で、しかも坂本一亀さんの下で
仕事をしていたのでありますね。
 この竹西寛子さんの別の文章を、田邊さんは「坂本一亀とその時代」で引用していま
す。
「かって坂本一亀の元で働いたことのある、作家の竹西寛子が二つの出版社に勤めた
体験から、『大学を出てすぐ入ったほうの出版社』、つまり河出書房について記述した
文がある。それは1952年から五年間までのことだが、その部分を次に引用しよう。」
 この竹西さんの文章は、「比叡の雪」青土社刊というものだそうですが、これが
どういうものかわかっていませんが、田邊さんが引用しているのは次のくだりです。
「今になってみれば、その出版社が、詩、短歌、俳句、小説、評論、いずれの分野におい
ても、種々の欠点はありながら、『先駆的』といえる集大成の『全集』『体系』を出して
いる事実に心が動く。けれどもそこで働いているうちはよく分からなかった。三十年
あまり経って、経営者の文化に対する姿勢、出版人としての夢と志をそれとなく仰ぎ
見る折がある。」
 ここでの経営者というのは、筑摩の古田さんではなく、河出の河出孝雄のこととあり
ます。河出書房は一度倒産し、その時点で竹西さんは会社を移り、その後に田邊さんは
河出に入社したとありました。