女の夢 男の夢 4

 担当する作家から原稿をもらうのは、編集者の一番の仕事になるのですが、
なだめたりすかしたりしながら、作品が簡単に出来上がる訳ではないので、
涙ぐましい努力をして原稿を受け取るのでしょう。その自分を殺した努力が
作家に勘違いを与えることがあるようです。特に、担当する作家が、一般的な
常識をもちあわせていないときはです。
 田邊園子さんの「女の夢 男の夢」には、女性編集者ならではの苦労話が
でてくるのでありました。
「 むかし、幸田文さんのところへ一年間かよっても原稿がとれなかった時、
幸田さんから、『女の編集者がきても小説は書けませんよ。あたしは男の編集者
でなければダメよ』といわれてショックを受けたことがあったが、さばさばした
感じがあって、私はあっさりと引き下がった。」
 幸田文さんについては、このようにいえるのでありますが、野間宏さんとなると
ほとんどストーカーまがいになるようであります。
「 男女同等の職業に携わっている女性は、良きにつけ悪しきにつけ、自分の
仕事が”性差”で計られることを好まない。言い換えれば、仕事の世界に”性”の違いを
持ち込みたくない。
 野間氏にとって、私が女性であることが氏の創作にインスピレーションを与え、
仕事上にプラスになったと仮に氏が思ったとしても、それは氏自身の想像力の
問題であって、私自身には関係がないことなのだ。私は自分の”性”を意識して仕事を
したことはない。あえていえば、しばしば私は、途方もなく我儘な巨きな幼児相手の
ベビーシッターのような役割を演じたことはあったかも知れない。」

 「巨きな幼児相手のベビーシッター」ということでありますから、普通であり
ましたら、わたしはあなたの母親ではありませんといって、関係を断ち切るところで
すが、そうすると仕事にならないというのが、彼女の苦しいところでありまして、
いまでありましたら、セクハラ、パワハラ、ストーカーのようなことになって
しまうようなことが日常茶飯にあったのでしょう。
「 野間氏にとっては、女性は男性を鼓舞し、さらに救済するものとして存在して
いた。また、全ての人々は作家に奉仕すべきだと氏は固く信じていたから、氏のなか
では、女性は男性作家に対して、創作の上では霊感を与え、落ち込んだときには
救いあげ、いつでも何でも受容してくれるものだという、都合の良い役割既定が
出来上がっていた。」

 なんとも、ほんとに都合のよい話でありまして、今の時代にも、このような暴君の
ような小説家なんてのはいるのでありましょうか。
 この性差における役割が、男性と女性を入れ替えても、にたような話はあると
思われます。女性作家と男性編集者とか、女性の漫画家と男性編集者なんてことに
なると、もっとリアルな話になるのかもしれません。
 女性の漫画家さんには、男性の編集者と結婚したなんてひとがいましたものね。