女性の編集者 5

 純文学分野の小説などを積極的にだしている大手出版社に、女性の文芸編集者はいた
のかというのが謎であります。編集部に女性がいなかったとは思えないのですが、
アシスタントではなく、担当の作家を持つようになったのは何時頃からなのでしょうね。
河出書房は田邊さんの前からいたということですが、編集者は黒子でありますので、
文章を書いて発表するような方でなくては、当方の記憶に残らないということもある
でしょう。
 文藝春秋社とか新潮社などは歴史が古いけれど、文春はなんとなく女性を編集部門
では採用しない社風に思えます。(そんなことはないかもしれないけど、雑誌文芸春秋
の編集後記からの印象です。) 
 文筆家にならなかった編集者のことを当方が知るのは、作家があとがきでとりあげる
か、そうでなければ編集者の仕事に関心をもったライターがとりあげるかであります。
最近手にしたもので、一番編集者のことに言及されているのは、もちろんというか、
永江朗さんの「筑摩書房 それからの四十年」でありますね。
これには「1970年代も後半にさしかかると、女性編集者の採用が増えていった。」と
ありました。

筑摩書房 それからの四十年 1970-2010 (筑摩選書)

筑摩書房 それからの四十年 1970-2010 (筑摩選書)

 この本には76年に筑摩書房に入社した方が、入社当時の文学全集編集部の様子が記載
されています。それによると、次のようになるのですが、これは会社は違っても、文芸
編集部に共通のものではないでしょうか。
「とにかくよく飲む部署でした。昼間から日本酒をすすりながら原稿の手入れをする人
もいれば、昼食のビールで気分よくなった部長か電話が入り、『つくればつくるほど
赤字になる本なんか、放っておいて出てこい」と呼び出されたりする。男性たちはその
まま深夜まで飲み続けて、誰かの家に泊まりこみ、奥さんが下着を届けにきた、という
話もありました。」
 箕形洋子さんという1953年生まれの編集者さんの回想ですが、この話は河出 坂本
一亀さんのことといってもいいようなものです。
 箕形さんが筑摩書房にはいった76年くらいから、ちくまの女性編集者の採用が増えた
とありましたが、田邊園子さんは1978年に河出書房を退職し、以降はフリーの編集者と
なったのでありました。