年譜制作者 3

 山本恵一郎さんの「年譜制作者」を書店でディスカウント本として購入したのは、
そこに書かれていたことに興味があったことと、それの登場人物が小川国夫さん。
著者をはじめとして静岡の文芸に関わる人であること、そして小沢書店の刊行物で
あったことです。
 著者の山本さんは、自動車販売会社の営業系管理職のかたわら、小説を書いてお
られた方ですが、この作品には静岡で文芸に関わっている方々も登場します。
そうしたところで作家の藤枝静男さんの名前があがっています。
 小川国夫さんが、浜松に住む藤枝静男さんのところへ「アポロンの島」をもって
訪問したということに関してです。小川さんの古い年譜では、この日は昭和32年12月
としていたのですが、藤枝静男さんの書いたものでは、これは「小川氏の記憶ちがい
からでたものらしく、実際は昭和33年4月である。」とあるのだそうです。
 それなのに、藤枝静男著作集の年譜には、「昭和33年3月小川国夫がはじめて訪れる」
と記されているということで、これはどうしてかという山本さんの疑問につながるわけ
です。こちらの藤枝静男さんの年譜は、自筆のものに、本人からの聞き書きにより補充
したとあるとのことで、これは藤枝さんらしからずだが、こうしたずれのようなもの
が、藤枝文学の特徴でもあるかと、山本さんは記しています。
 当方の眼がとまったのは、次のところ。
藤枝静男著作集(昭和52年)の年譜制作者は伊東静雄氏である」
 この伊東静雄氏とは、どの伊東氏でありましょうか。静岡焼津には、湯川書房の支援
者である伊東静雄氏という方がおられるのですが、この方のことになるのでしょうか。
 この本に名前があがっている方に、東邦書房の編集者 李昇潤さんという方がおられ
て、この人に関わるところが、とても興味深いことであります。
 いろいろと、エピソードが紹介されたあとの結語の部分です。
「それにしても李昇潤という人は不思議なひとだった。ある日忽然と現われ私に仕事を
言いつけたまま、また別のある日忽然と姿を消してしまった。そして以降はまったく
行方知らずである。しかし私は李さんを恨んではいない。むしろ感謝さえしている。
どういうきっ掛けからか彼がふらりと小川氏に近づいたことで、私は小川国夫氏の評伝
を書くことになったのだから。」
 この李さんという人は、業界では有名であったようですが、大岡信さんにも原稿を
依頼して、それが本に掲載されることなく原稿が所在不明となって、大岡さんの著書の
あとがきで、この原稿を戻してほしいと訴えているとのことです。
 善意からなのか、悪意からなのかわかりませんが、こういう話って、けっこうあった
のでありましょうか。