高原好日 4

 たしか、拙ブログで「1946・文学的考察」にある「新しき星菫派に就いて」と
いう文章をとりあげたことがあったはずと思って、「星菫派」でこれまでのブログ
を検索してみましたが、これは勘違いであったようです。
 それはということで、富山房百科文庫にはいっている「1946・文学的考察」を
さがしたのでありますが、これが見つからないのでありました。中村真一郎
福永武彦加藤周一が同人誌「世代」に寄稿したコラム文章をまとめたのですが、
こうした形式は、そのあと同人誌「秩序」かで篠田一士、中村公男、丸谷才一
よって引き継がれましたが、こちらのほうは、一冊にまとまることもなしであった
ようです。
 本のなかから、引用をしようと思っていましたが、本はみつからず、検索を
しましたら「新しき星菫派に就いて」の冒頭部分が、ネット上にかかげてあり
ました。作成した方に感謝して、引用させていただきます。(いまは講談社文芸
文庫に収録されています。)

「1946・文学的考察」 (冒頭部分)
「  焦点 新しき星菫派に就いて
 戦争の世代は、星菫派である。
 詳しく云へば、一九三〇年代、満洲事変以後に、更に詳しく云へば、南京陥落の
旗行列と人民戦線大検挙とに依て戦争の影響が凡ゆる方面に決定的となつた後に、
廿歳に達した知識階級は、その情操を星菫派と称ぶに適しい精神と教養との特徴を
具へてゐる。
 先づ例をあげることからはじめよう。私は戦争の終る二年程前に偶然彼を知つた。
彼はそのとき廿五六の医学生であり良家の子弟に適しい上品さを言語挙動服装に
具へてゐた。専門の学業に熱心であり、若干の運動競技にも通じ、俳句をよくし、
カリカチュールを巧みに描くと共に、セザール・フランクの音楽を愛し「冬の旅」の
楽譜をどうにか歌ふことが出来る。書棚には、秋桜子の数冊、カロッサの全集、
又へッセとリルケとの小説や詩集、万葉集の評釈と中河与一仏蘭西通信と、――
何も皆覚えてゐるわけではないが、さう云ふ本が手際よく本棚にならんでゐて、
私が彼の部屋へ行つたときに、彼はその一冊を何となく抽いて、手の上に弄びながら、
本の装幀に就いて、良き趣味の批判を加へたり、又彼が撮つたと云ふ「芸術写真」を
見せてくれたりした。」
 戦争中にこのようなノンポリがいて、こういう極楽とんぼのような人のことを
加藤周一さんは、批判して「新しい星菫派」と呼んだのですが、今となってはどうと
いうこともなしですが、この文章をめぐって、年長の世代からは、「諸君らこそが
星菫派ではないか」と批判をされ、同世代とは、宇佐見英治さんのようにぎくしゃく
とした関係になったのであります。
 それだけ、時代が緊張感をはらんでいたということでしょうか。