高原好日 5 

 加藤周一さんの詳細な年譜と著作目録があればいいなと思っていましたら、
後者にあたるものは、ネット上に試作品があるようです。
 以前にも記しましたが、加藤周一著作集は、未刊の一冊があって、この
未刊がなんのせいであるのかわからず、けっこう首をひねる状態が続いて
います。今月に届いた「ちくま」3月号に鷲巣力さんが加藤周一さん追悼文を
「希望の人」というタイトルでよせています。
鷲巣力さんという方は、かって平凡社の編集者で、加藤周一著作集の担当で
あったように思いますので、この著作集が未刊であることについて、何か
コメントでもあればと思いましたが、もちろん、それに言及するところは
なしでありました。
 この文章で、鷲巣力さんは、加藤さんのことを次のように記しています。
「 加藤さんの生涯はほとんど文章を書くこと、語ることに費やされた。・・
 旺盛な知的好奇心といことであれば多くの学者や作家に共通しており、なにも
加藤さんに特有なことではあるまい。加藤さんは自分が考えたことを多くの
人々に伝えたいと人一倍強く願っていた。それは戦後初期から亡くなる
三ヶ月前まで少しも変わらなかった。・・
 加藤さんはよく『知の巨人』といわれるが有名無名を問わずに、身近な友に
深い愛を注ぎ、ソロモンの栄華によりも述べに咲く百合の花に強く心を動か
される人だった。『情の人』でもあり、詩人の魂をもっていた。かけがえの
ない友の命を失った怒りから発した加藤さんの言動は、終生変わる事が
なかった。」
 本日に手にした新潮社のPR雑誌「波」には、安部公房全集の第30巻が
完結したとでておりました。初回配本は97年9月で、29巻は00年12月
にでていて、30巻はそれから10年近くも経過してのことでありました。
この号には、検索CDーROMがつくとありました。刊行遅延しての収穫は、
CD−ROMが付録でついたことであったでしょうか。
 
「 病状が進み、衰弱が隠しようもなくなった昨年の7月8月のころ、
加藤さんが倦まず語ったことがある。『鴎外、茂吉、杢太郎』という主題に
関することや、構想中の他の主題にに関わる事だった。なかでも「鴎外、茂吉、
杢太郎」はなんとしても仕上げたかったに違いない。文学者にして医者で
ある三人を通して、近代日本の知識人の生き様をかたり、そこに加藤さん
自身の生きざまを重ね合わせる。残念ながらそれは完成を見ずに終わった。」
 加藤周一安部公房加賀乙彦と東大医学部卒の3人をならべてみても
「鴎外、茂吉、杢太郎」とはちょっと違うかと思ってしまいます。